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高新写真コンテスト 応募作品と解説

「一心不乱、佐渡の感動を版画に」-学芸高3人組を姫津港で発見-

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15年3月22日〜26日、新潟県は佐渡を舞台に第三回「版画甲子園」が開催され
ました。18都道府県31校から120作品の応募があり、高知学芸高校は堂々その予
選を突破、決勝戦出場14校に選ばれ、はるばる佐渡にやってきました。

引率の平田慎一先生の指導のもと、二年生の3名が佐渡相川町は姫津港で一心不
乱に版画の下絵スケッチをしていました。その姿は眩しいくらい光り輝いていま
した。目を凝らし、佐渡の風景を書き写していた土佐の3人組に、佐渡の印象は
どう写ったのだろう。

 大賞の新潟県知事賞を期待してましたが、残念ながら奨励賞でした。姫津は肩
を寄せ合って暮らす188世帯の小さな漁港です。スケッチのモデルになってくれ
た漁師のおばちゃんさん達も随分応援してくれたそうです。大賞を逃したのを大
きい魚を釣り損ねたように残念がってくれたとか。

 こういった交流こそ「版画甲子園」の意図したもの、そのものです。 私は高
知新聞写真コンテストで「学芸高校の3人はこんなに頑張ってましたよ」の報告
をさせてもらうことにしました。これはその写真の一部です。
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 3人の共同制作の版画モチ−フは「日の出丸」の村尾長左ェ門一家。「漁師の
暮し」である。村尾鹿蔵さん(S9年2月20日生まれ)マサ子さん(S11年2月28日
生まれ)に聞いた話がまこと面白かった。マサ子さんは包み隠しのない竹を割っ
たような性格の人だった。「朝3時前に起きて漁に出る主人と息子の弁当朝昼2食
分を作って、それから二人を起こすんよ。昼すぎに漁から戻るのでそれから9時
頃まで魚を加工する。寝るのはいつも10時位だ。昔は2〜3時間しか寝ないで働い
てたもんだよ」。

 鹿蔵さんは2軒隣からきた養子さんとのこと。「昔は結婚相手は皆んな親が決
めていたもんよ。主人はわかめを取らせても漁も名人よ。ほんとだよ」。この姫
津には188世帯あるがそのうち石見姓は46軒もある。だから皆んな屋号でないと
わからないそうだ。その昔、この姫津は石見の国からやってきた人が作った集落
という。

 昭和40年、村の銭湯が火事に。折からの強風に煽られ40数軒がたちまち類焼し
てしまったのだそうだ。「ここは冬、風が凄いからね。風の時は家の外にはおれ
ん。吹っ飛ばされてしまうもの。今みたいに太ったら少々の風は大丈夫さ」。

 昔、姫津ははすごく貧乏な村だったそうだ。だからマサ子さんも出稼ぎに紡績
工場に行ってたのだそうな。愛知県碧南、今の安城市で3年働いたが父が病気に
なり呼び戻され姫津に戻った。「父は平成4年に82歳で亡くなった。母は痴呆で
ねえ。5年間看病したんだよ。夜はそこらへんを徘徊するので危なくって付いて
まわったもんだよ。棒きれを振り回してねえ。見つかるとついて来るな、と追い
払うもんだから危なくってねぇ。こっそり後ろから見つからないように尾行した
もんだよ。下の世話を5年ほどしたが、平成12年に77歳でなくなっちまった。こ
う見えて私も苦労をしとるんよ」。

 父の名前は「胞衣好」。「いなよし」、と読む。漁に行っていた室蘭で付けて
もらったものらしい。「生まれた姿がお坊さんの袈裟に似てるとか似てないとか
でね。お坊さんになったら出世したんでないかい」。代々、村尾家は漁師の家系
である。今は「のしいか」「わかめ」「たらの味醂干し」などを加工直売して生
計を立ている。

「今は長男と主人、二人で船にのってるから安心だよ。無線も携帯電話もあるし
ね」。「明日にでも制作の会場に行ってみっから。今日はダメだ。忙しいもの」。
そう言って翌日、本当に制作会場までやって来た。佐渡の漁師はとびっきり気風
が良く、あったかい人達だった。

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