「徒然草」

名前
Eメール
公開しないでメールを受けたい 公開する又は記入しない
タイトル
本文 改行無効 改行有効

本文中にURLがあれば自動的にアンカー(リンク)にする タグ(※1)を有効にする(投稿前に表示確認を)
添付画像 ファイル (※2)
暗証番号 ←この記事を削除するためです(変更可能)
設定保存     

(※1) 使えるタグは <B>(強調) <I>(斜体) <U>(下線) <FONT>(装飾) <A>(アンカー) のみです. 閉じ忘れに注意.
(※2) 画像のパスに空白や全角文字が含まれると、正しく処理できない場合があります.
(※3) 投稿後30分以内であれば編集(修正や画像追加)が可能です.
全 47 件 [ 1 2 4 5 ] [最新の状態] [戻る]
ページ 3 (21〜30)
この瞬間の為に。 引用
  2004/4/7 (水) 16:00:04 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
(添付1) 1081320989.1.jpg
(添付2) 1081320989.2.jpg
(添付3) 1081320989.3.jpg
今年、4年目の開催となった佐渡の「版画甲子園」に行って
来ました。
-----------------------------------------------
今年、第4回の「佐渡市誕生記念大会」のグランプリに輝い
たのは島根県立大社高校でした。昨年に続いて2回目の出場
で一気に大賞を受賞。発表の瞬間、さすがに本人達もビック
リ、たまらず泣き出してしまいました。
------------------------------------------------
表彰式での優勝インタビュ-で監督の高橋恭子先生がこんな
話をしてくれました。
-----------------------
「朝の6時まで徹夜で制作をして、ちょっと仮眠ということ
で生徒は宿に戻りました。会場でやきもきしてひたすら待っ
ていたあの4時間の長かったこと。生徒は宿で爆睡してたよ
うです。思えばあの時が戦いでした」
-----------------------
「私は佐渡に来るのが毎回本当に楽しみなんです。佐渡には
古き佳き時代の日本がそこかしこに残っています。今年は山
里の暮らしを覗きたい、そこの子ども達に出遭いたいとボラ
ンティアドライバ-の方にお願いしました」
-------------------------
「相川小学校で出会った子どもに訊いてみました。『あなた
が佐渡で一番気に入っていて、私達を連れて行きたい自慢の
ところって何処かなぁ?』。その子が即座に言ったんです。
『私のウチ!』って」
-------------------------
「佐渡の方言で女の子のことを『ねしょんこ』と言うそうで
す。作品のタイトルはこの子への想いを込めて『ねしょ賛歌
-新しい春-』にしました」
-------------------------
「佐渡にはあったかい人情、豊かな自然が満ち満ちています。
佐渡への思い入れが来る度に増しています。今回の思いがけな
い大賞は生徒達の励みになります。ありがとうございました」
-----------------------------------------------------
生徒のインタビュ-がまた、それぞれに印象的でした。
「私が中学生の時、新聞で大社高校が版画甲子園に出場という記
事を見て、絶対に大社高校に進学したいって。版画甲子園に出場
するのが夢でした。その夢が叶って、しかも大賞まで貰って信じ
られない気持ちです」
----------------------------------------------------
大会開催の5日間、24時間体制で制作会場に詰め、ある時は不眠
不休で運営に当たったスタッフはこの挨拶に皆んなウルウルし
ています。私も胸が詰まり、ついもらい泣きしてしまいました。
この瞬間の為にスタッフの皆さんが大会を支えてくれている。
この大社高校の挨拶を全ての島民に聞かせたいと思いました。
---------------------------------------------------
続いて、大会委員長の川嶋清さんが挨拶に立った。
「私は今、感激で胸がいっぱいです。心の中で泣いています。実
は今度の市町村合併で第4回大会が出来るかどうか危ぶんだ時期
もありました。大社高校さんの優勝インタビュ-では心が震えま
した。やってよかった。しみじみ苦労した甲斐があったなぁと今
、思っています」
川嶋さんは、目に涙を溜め、声は感激で震えていた。
------------------------------------------------------
バスの見送りの後、スタッフと昼食の席でもまた、大社高校の優
勝インタビュ-の話になった。
「あれは嬉しい挨拶だったよなぁ。設営、運営、後片付けまでス
タッフに苦労かけて。でもあの言葉で疲労が吹っ飛んだもんなぁ」
「版画甲子園の5日間で生徒が変わるって。目に見えて成長するっ
て。先生がそんな話をしてくれるんだよね。こんな話を聞いたら無
茶苦茶嬉しい。運営は確かに大変だけど、やってよかったよねぇ」
この瞬間に立ち遇える。こんな幸せなことはない。



高知県は中土佐町の「風工房」 引用
  2004/2/23 (月) 17:39:03 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
(添付1) 1077525373.1.jpg
(添付2) 1077525373.2.jpg
(添付3) 1077525373.3.jpg
=======================

高知県中土佐町「風工房」

=======================


 高知県中土佐町久礼は県中西部に位置し、黒潮お
どる鰹の国として知られる存在です。青柳裕介の人
気漫画「土佐の一本釣り」で中土佐町・久礼の熱烈
ファンがいます。1996年、久礼湾を望む眺めのいい
場所に「鰹の国の湯宿・黒潮本陣」がオープン。黒
潮を沸かした「汐湯の露天風呂」と中土佐流の無添
加のもてなしが評判になっています。

-------------------------------------------

 翌年、12月ケーキ店、苺倶楽部「風工房」がオー
プンした。当初の一日当たりの売り上げ予想八万円
を軽くクリア、一日58万円を売り上げた日もあると
いう。
-------------------------------------------

 「鰹のアラから作った堆肥で育てた美味しい苺を
もっとアピールしたい」。農産物加工施設「風工房」
の運営は苺倶楽部(前田宣子さんら8名)。前身は
土佐久礼農協イチゴ生産組合。イチゴの栽培・収穫・
出荷の為の団体として発足した。生産量増加の一方で
、流通に乗らない、出荷出来ないイチゴを無駄にした
くない。いちごジャム・イチゴゼリーの加工品を作り
カツオ祭りや産業祭りで販売していた。

-------------------------------------------

「苺はケーキ屋さんに出荷していましたが、これは
大き過ぎる、これは甘すぎると注文がうるさい。な
らいい。自分達でケーキを作る、と始めた店です」。
素人集団で、年齢は35歳から70歳代2人。その
殆んどが日中の農作業を終えて夕方からの技術講習
になった。専門家の先生を迎えて特訓を重ねようや
くオープンにこぎつけたのである。

-------------------------------------------

 苺ケーキ、苺シフォンケーキなど10数種のケーキ
が2階の喫茶店で食べられる。朝採れた新鮮な苺を
ふんだんに使った甘さ控えめの味が評判になり、週
末には高知市内からお客さんがやってくるようにな
った。これまでの最高は一日に2070個のケーキ
が売れたそうだ。

-------------------------------------------

  鮮魚を安く売る「大正市場」や「カツオ祭り」
などの人気がリンクして年間47万人の観光客が訪
れる町になった。中土佐町の人口が7653人だか
ら、「交流人口の推進施策」が高く評価されている。

---------------------------------------------

 土佐久礼の町でもうひとつの名物は朝の喫茶店だ。
さすが漁師町ならでは、見事に満員、おばちゃん達の
談話室だ。男一人で入ると、どうにも落ち着かない。
しかし、一度覗いてみる価値はある。

---------------------------------------------

津鉄名物「ストーブ列車」 引用
  2004/1/12 (月) 15:04:43 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
(添付1) 1073880601.1.jpg
(添付2) 1073880601.2.jpg
(添付3) 1073880601.3.jpg
 

NHKの「ひるどき日本列島」は今週「津軽の冬」特集だとか
。「ストーブ列車には乗ったことがありますか?」と携帯メールに
佐渡から問い合わせが入っています。
-----------------------------------------------------
お答えします。「あります。津鉄の渋谷さんのお世話で東川の樽井
さんと一緒に。その時の写真がコレです。ご参考まで」
----------------------------------------------------

津軽平野のほぼ中央に位置する五所川原市から、北津軽平野を北上
する鉄道が津軽鉄道。地元の人は親しみを込めて「津鉄」と呼ぶ。
単線で運行距離20.7km。始発の津軽五所川原駅から終点の津軽中里
駅まで11駅。無人駅は半数の5駅、これを40分ちょっとかけてゆっく
り、のんびり走る。
----------------------------------------------------
 開通以来、北津軽の足として利用されてきた。しかし、道路が普
及、車社会になり、たちまち経営難になる。智慧をしぼり「活路を
見出す努力を全社一丸で」、そのひとつがメロス号。客車の老朽化
に伴い、新型レールバスを導入、オレンジ色の車体には「走れメロ
ス」のマークを掲げた。太宰治の故郷である金木町を走っているこ
とからそう命名された。別名「太宰治号」である。
----------------------------------------------------

 津鉄名物はなんといっても冬期間運行されるストーブ列車。
運行には経費がかかるため、一時は廃止も検討されたが、全国の津軽鉄
道ファンの廃止を惜しむ声と地元自治体からの要請で継続運転となった。
ストーブ列車の運行時期に合わせ津軽平野の地吹雪が体験できるツアー
も企画されている。
---------------------------------------------------
 ストーブ列車の車内にはボックス座席の一部を撤去したスペー
スに2台の石炭だるまストーブが設置されている。ストーブの上の網で
はスルメを焼いたり餅を焼いたり出来る。熱燗セットを五所川原駅で買
って乗り込むのが津鉄通だとか。
---------------------------------------------------

本来は冬の風物詩である「ストーブ列車」が地元青年団の企画で
真夏に運行されたことがある。始発駅のある五所川原市の「夏祭
り立倭武多」に合わせて企画されたもの。その名も「もう一つの
夏祭り−灼熱津軽体験−」である。いかにも津軽のモツケらしい
取り組みである。若くして逝ったモツケ、津軽十三湖「しじみ亭」
の奈良さんのことをどうしても思い出してしまう。自分のことは後
回し、いつも地域の為に一所懸命だったもんなぁ。
---------------------------------------------------

 津鉄沿線は、青森県を代表する穀倉地帯で冬は白銀一色になる。
隔てるものが何もない津軽半島西側は下から上へ吹き付ける「地吹
雪」の洗礼を受ける。雪の止んだ後の一瞬の晴れ間、打って変わっ
て光り輝く白の雪原が拡がる。ストーブ列車は、木枠の窓と木目の
座席というノスタルジックな造作が郷愁を誘い、近年人気の列車に
なった。車内に置かれた石炭のダルマストーブが実にいいのだ。い
かにも雪国らしい懐かしい雰囲気を醸し出している。
-----------------------------------------------------
 是非!一度体験してみて下さい。





師走の風物詩、千本釈迦堂の「大根だき」 引用
  2003/12/9 (火) 00:38:59 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
(添付1) 1070891359.1.jpg
(添付2) 1070891359.2.jpg
(添付3) 1070891359.3.jpg
======================== 12月8日。京都の師走の風物詩、千本釈迦堂の「大根だき」に行った。================弘法大師秘傳による加持祈祷中風諸病除「大根だき授与」成道会法要。平たく言えば大根のおでん一椀が「参加料1000円」で食べられます。祈祷大根、判りやすくいえば大根一本を1000円で売っているわけでして。これが凄い人出なんですね。近所の八百屋さんで買えば一本せいぜい二百円位じゃないかなぁー、と。「付加価値」ってこんな判り易い事例はないですね。決して押し売りではなく、こんな高いのに、それこそ「喜んで!」買うわけですから。-----------------------------------例えば、この大根を食べても病気になる人はいるわけで。それでも決して怒って怒鳴りこんで行ったりしないもんね。普通、効能や性能が違った商品を買ったと知った場合、クレームがメーカーに入るもんだけど。「この程度の病気ですんでいるのは大根だきのお陰」、となるわけで。この季節におでんの大根というアイデアがいいですね。全国では大根を作っている村は多いもんねぇ。大豊作の時は畑にそのまま放っていて、車から見たらまるで雪が降ったように。あの村やこの村にこの付加価値のことを教えてあげたいなぁ。「それって京都だから可能なんですよ」って言うだろうけど。--------------------------------------------- この「大根だき」は釈迦が菩提樹(ぼだいじゅ)の下で悟りを開いた日(12/8日)にちなむ恒例行事。 鎌倉時代、三世慈禅上人が大根の切り口に梵字(ぼんじ)を書いて魔よけにしたのが起源とされています。聖護院大根のまるまると太った白い大根に梵字を書いてお釈迦さまを偲んだのがこの「大根だき」。 従来はこのまん丸大根を使っていたが、年々参拝者が多くなったことや、従来、お祓いをして栽培していた畑に新幹線が通ったりして大根の数が間に合わなくなり現在、写真のような大根を使っているのだそうです。 -----------------------------------------------  この千本釈迦堂は、京都の町が応仁の乱で焼け野原になってもこの建物だけ残ったという京都で一番古い建物です。----------------------------------- 建物の柱にはこんな伝説が伝わります。大柱の上部に升型の受けがある。これは、時の大工さんが寸法間違いで短く切ってしまったもの。どうしたものか、棟梁窮地に至る。その時、棟梁の妻の名案に因り足りない分を升型の受けを作る事で解決、目出度く完成をみた。竣工後、その妻は自分の提案だと言う事が知られれば夫の功名に差し支えるからと自害したという。その故事に因んで庭に「おかめ観音像」が奉られています。 ------------------------------------------------- この大根だき、サスガに旨い。良妻賢母の為の「料理の腕をあげたい!」祈願に打って付けの「大根だき」だと思ったことです。 

「べてるの家」で鍋の夕食会 引用
  2003/12/5 (金) 20:41:16 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
(添付1) 1070619506.1.jpg
(添付2) 1070619506.2.jpg
(添付3) 1070619506.3.jpg
「『浦河べてるの家』で鍋の夕食会」-----------------------------服部さんが怒った口調で言う。「待ってたんだよ」。「べてるの家」のメンバーがあったかい鍋を用意して待っていてくれた。箸を持って、鍋の周りをウロウロ、今か、今か、と待ってくれていた。-------------------------------佐々木さんは夕方6時には就寝、早朝3時には起きるそうだ。今日は特別の日、寝ずに待っていてくれた。差し入れに持っていった当麻町「かたるべの森」のぶどうパンを喜んでいっぱい食べてくれた。--------------------------------「パンが好きなんですよ」。「私は、あなたのこと、申し訳ないけど、覚えてないんですよね」。久し振りの再会、佐々木さんが何度もそう言って恐縮する。5年ぶりの「べてるの家」訪問である。--------------------------------「ビールは飲みますか?」。佐々木さんが、缶ビールを取って勧めてくれる。皆んな一緒にビールを飲み、鍋をつつく。佐々木さんは62歳の今も毎朝3時から海岸沿いの道を約2時間走っているそうだ。---------------------------------「雨の日も走るの?」。「カッパ着て、長靴はいてね。重いけどね」。佐々木さんには何でも遠慮なく言える。「そこまでのめり込んだら病気だよ」。佐々木さんが笑いながら返す。「だから、とっくに病気なんだよね」。「なんなんだろね。そこまでする原動力っていうか、追いたてるものは何なんだろうね?」。「祈りだね」。「祈り?」。「そう、祈りなんだね。わかり易くいうとね」。自分の病気の改善や回復、はたまたメンバーの病気や苦しみに思いを寄せて、毎朝祈りながら海岸を走っているのであろうか。---------------------------------鍋の湯気でくもるあったかい部屋で、寒風吹きすさぶ氷点下の早朝、浦河港をひた走る佐々木さんのことを想った。 未明の浦河海岸、黒いシルエットにしか見えない佐々木さんが向こうからどんどん近づき、あっとうい間に目の前を走り抜けていく。そんな光景を思い浮かべた。--------------------------------- 時にストレスで爆発、べてるの乱暴者(笑)で知られる岡本さんが、さっきから鍋の周りでうろついている。キヨシさんが座長の気配りをみせる。「また佐々木さんの人生論が始まったよ」。ワイワイガヤガヤ大きな笑いの輪が拡がる。いつもの「べてるの家」の夕食会である。「もっと鍋を食べたらいいよ。前に会ってるよね。たしかそうだよね」。キヨシさんが何度もそう言って鍋を勧めてくれた。----------------------------------佐々木さんにそっと訊いてみた。「これだけたくさんのメンバーがいると、普通はケンカするよね。ココは皆んな仲がいいよね。ナゼなんだろうね?」。「ここにいるメンバーは皆んな弱さや欠点を持っているからね。それを皆んなが認めあっているからね」。だからケンカなんかしない、というのだ。----------------------------------襟裳岬に程近いここ「浦河べてるの家」に来ると気持ちが安らぐ。心の故郷の実家に帰ったような、そんな心地よさだ。

数という字の魔力 引用
  2003/12/1 (月) 20:48:31 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
(添付1) 1070275508.1.jpg
(添付2) 1070275508.2.jpg
(添付3) 1070275508.3.jpg
『数という字の魔力』------------------------------------------------------------------------------------■ 戦後、未曽有の大震災となった阪神淡路大震災。この時亡くなった人は、実に6433人という。--------------------------------------------■交通事故死が年間1万人、自殺者が年間3万2千人と新聞に出ている。身近な人が交通事故死したり自殺した人がいると、その数が実感としてわかる。逆に、身近な人にそういう人がいない人は、その数字は全く他人事、対岸の火事である。------------------------------------------- ■そういえば、4年前のことだ。高知県馬路村で、折からの長雨で山が崩れ、作業中の二人が生き埋めで亡くなったことがある。上治堂司さんが村長に就任、直後の災害だった。村長自ら災害本部長に就任、徹夜で雨のなか、必死の作業が続いた。仮設テントでは農協婦人部が炊き出しをして、消防団の作業を支援した。折しも梅雨時、長雨にたたられて作業は困難を極めた。2次災害の危険がある。雨中の作業を祈る思いで見守った。結局、3日後、残念ながら2人の遺体が確認され、村は悲しみのダムに沈んだ。--------------------------------------------■ 馬路村の人口は1272人である。阪神淡路大震災で6433人といえばそっくりこの村が無くなることになる。隣町の安田町が3866人だから中芸2町村がそっくり無くなったという数字である。---------------------------------------------■「世界がもし百人の村だったら」(マガジンハウス)が100万部を超えるベストセラーになった秘密を垣間みるようだ。「中学校に通う長女の担任は、生徒たちに毎日メールで学校通信を送って下さる素敵な先生です。その中にとても感動したメールがあったので皆さんにも送ります。」の書き出しで始まる。-------------------------------------------------■「52人が女性、48人が男性、30人が子ども、70人が大人です。そのうち7人がお年寄りです」。なるほどわかり易い。「村に住む人、100人のうち27人は栄養が充分でなく、1人は死にそうなほどです。でも15人は太り過ぎです。全ての富のうち6人が59%を持っていて、皆んなアメリカ合衆国の人です。74人が39%を、20人がたった2%を分けあっています」。フーン、そうなんだ。■「1年の間に村では1人亡くなります。でも年に2人赤ちゃんが生まれるので来年、村は101人になります」。 途端に数字が身近になる。-------------------------------------------------■神戸中山手に老舗のイタリアンレストランがある。今が旬の「牡蠣のピッツア」を食べに行った。ピザと一緒にカードが付いて出てくる。「ご来店の記念に」がそのタイトル。「これからあなたがお召し上がりになるピッツアは当店創業以来1077150枚めです。--------------------------------------------------■100万人を超える人達がその時、誰と、どんな想いで食べたのだろう。しばし数という字の持つ魔力を思った。

「泥流地帯」の碑を訪ねました。 引用
  2003/11/20 (木) 00:25:13 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
(添付1) 1069255232.1.jpg
(添付2) 1069255232.2.jpg
(添付3) 1069255232.3.jpg
上富良野町に十勝岳爆発災害復興60周年の記念碑がある。碑には三浦綾子さんの著書「泥流地帯」の文章の抜粋が刻まれている。|大正15年7月11日、十勝岳爆発で145名もの人達が一瞬のうちに泥流に流されて死んだ。 開拓以来30年、木を伐り藪をひらいた田畑を一朝にして荒廃に帰す。| この本の主人公石村兄弟の弟、耕作は小学校の代用教員を務めていた。持たされた担任の3年生のクラスでいつも一人、暗い表情でクラスに馴染めない子がいた。 五郎は母親のいない子だった。ある日、五郎の作ったこの詩が耕作と五郎の心を結んだ。-------------------「まんま」 ゆんべ おれがまんまたいた。 ちょっと こげたけど 父ちゃんは おこらんかった。 あんちゃんも おこらんかった。 みそつけて くった。 うまかったなあ。 おれのたいた まんま---------------------- 耕作はこの詩に母のいない五郎の生活を想った。小学校3年生の五郎が冷たい水で米を磨ぎ、ストーブに火をつけて、飯を炊いている。米が炊けるまで、五郎は膝小僧でも抱えてストーブの火をじっと見つめていたのではないか・・・ 母のいない家に育った耕作は涙ぐみながら批評を書いた。「五郎の炊いた飯、うまかったべなあ。先生も食いたかったぞ。あのなあ五郎、先生もなあ、母ちゃんがいないで育ったんだぞ、そして父ちゃんも事故で死んでるんだぞ。仲良くするべな」 この評が五郎を変えた。それからというもの、五郎は4キロに及ぶ道を歩いて沢の谷に住む耕作の家にわざわざ遊びに来るようになった。たまたま5月24日のその日、五郎ははるばる耕作を訪ね沢の谷にやってきて泥流に遭い、永遠に帰らぬ人になった。----------------------------------- 小説「泥流地帯」のなかで教えられることは多い。沢の谷一帯は流木の山と化し、見るも無残な姿になってしまった。しかも火山からの硫黄が土を覆ったのでもはや作物の出来る土ではない。かろうじて難を逃れ生き残った人達は次々にこの地を去って行った。印象的なこんな場面がある。「この地に米が実るかどうか。少なくとも三年経ったらわかる。三年経って、もし実らないとわかったら、その時は俺も諦める。すると人は言うだろう。その三年の苦労は水の泡だってな。しかし俺はね。自分の人生に何の報いもない難儀な三年間を持つということはね、これは大した宝かも知れんと思っている。たとい米一粒実らなくてもな、それを覚悟の上で苦労する。これは誰も俺から奪えない宝なんだよ。実りのある苦労なら、誰でもするさ。しかし全く何の見返りもないと知って、苦労の多い道を歩いてみるのも、俺たち若い者のひとつの生き方ではないのか。自分の人生にそんな三年間があったっていいじゃないか。俺はね、はじめからそう思ってるんだ」。 兄は凄い男だ。耕作は、それ以来何も言わなくなった。(今回、樽井さん、島さん、庄司さん達と碑を訪ねた。樽井さんが勤勉実直な三重団体に想いを馳せ碑の説明文を拭いてくれていた。)

おこげのご飯が嬉しい「かまどくん」のこと 引用
  2003/11/18 (火) 18:03:14 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
(添付1) 1069140680.1.jpg
(添付2) 1069140680.2.jpg
(添付3) 1069140680.3.jpg
「かまど」の味を再現!
  「長谷園の伊賀焼きご飯鍋・かまどくん」
---------------------------------------

米を食べなくなった。「ウチはパンだからねぇ
。メシはあまり食べないよ」。そういう人は多
い。そういう人にこそ勧めたいのがこの「かま
どくん」である。

ふっくらと艶がある。懐かしい、薪の竈で炊い
たご飯の香りがする。

伊賀特有の気泡の多い荒土を使った分厚い土釜
で重い内蓋と外蓋の二重構造になっているのが
ミソ。中火のガスにかけ、外蓋の孔から湯気が
吹き出したら火を止める。たったそれだけで誰
もが「ご飯炊き名人」になれる。

熱しにくい冷めにくい土釜の性質を熟知した7
代目長谷優磁氏会心の作である。実に3年間、
3000点の試作品を作ったという。のめり込む性
格、頑固一徹の職人である。

2000年の発売、以来、口コミでその噂が広がり
今や年間5万個生産、それでも注文に追いつけな
いというから当節嬉しい悲鳴である。

天保3年(1832年)伊賀は阿山町のこの地に築
窯、以来「用と美と楽」をテーマに営々と代を
重ねてきた。
----------------------------------------
長谷園を訪ねて、圧巻はなんといっても16連の
窯。写真はその一部である。

天保三年(1832年)の創業時から昭和40
年代(1970年代)まで稼動していた登り窯
である。この16の部屋(窯)を焚きあげるには
、15〜20日間を要するという。この大きさ(
16連房)の窯で、現存している登り窯は、日本
ではこの長谷園さんだけだそうです。

http://www.igamono.co.jp/zyouhou/omoyaseremoni.html

クセを生かすクセを。 引用
  2003/10/22 (水) 17:11:47 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
(添付1) 1066809459.1.jpg
(添付2) 1066809459.2.jpg
(添付3) 1066809459.3.jpg
 クセを伸ばすクセを。 「人にクセがあるように、木にもクセがある。使いにくいクセモノほど排除せずうまく使うことが大切。それは建築も棟梁の仕事も一緒だ」。九五年、八十六歳で亡くなった西岡常一さんが著書「木のいのち、木のこころ」(草思社)で語っている。 西岡さんは飛鳥時代の古代工法で大伽藍を造営することが出来る「最後の宮大工棟梁」といわれた人である。生家が代々法隆寺に仕える宮大工だった。法隆寺の棟梁を務めた祖父常吉さんに小学校にあがる前から仕事を仕込まれたそうだ。戦前から戦後にかけての「昭和の大修理」で、世界最古の木造建築である金堂や五重塔の解体修理を手がけたことで知られる伝説の宮大工である。 金堂の上層の屋根について、学者とかわした大論争は今や伝説的な話である。学者は屋根を玉虫厨子のような錣(しころ)葺きと主張。しかし西岡さんは違う、と。実際に組み立てて見せて入り母屋造りであることを証明、今までの定説を見事に覆したという。 その西岡さんが著書の中でしみじみ語っている。法隆寺は先人の知恵と技術が凝縮されている建物だ、と。千三百年前に建てた飛鳥工人の技術に現代工人が追いつけないそうだ。 木は人間と同じ、一本一本にクセがある。堂塔の木組みは寸法で組まず、クセを見抜いてその木のクセで組むのだという。「木は生育の方位のままに使へ」。だから木を買うのではなく山を買うのだ、と。棟梁自ら山に入って木の育ち方を見て木を選ぶ。山の北側の木は太いけれども柔らかい。山の南側の木は細いけれど強度がある。この木は右に捻れているから左捻れのあの木と組み合わせたらいい、そんなことを山で考えるのが棟梁の仕事だそうだ。「百の工人に百の思いあり。ひとつにまとめるのが棟梁のつとめなり」。寺社建築は実に大勢の人々の力を結集してはじめて完成する。人間にも木と同様、さまざまなクセがある。そのクセを読む、一人一人の工人の心を読むのが棟梁の仕事。クセがあるからと外してしまうのは論外と言い切る。「木には二つの命がある」。自然の中で生育している間の樹齢、そして用材として生かされている間の耐用年数だ。この寿命をまっとうするだけ生かす務めが即ち工人の役割と説く。 千年も生きているような木はそのほとんどが栄養状態の悪いところに育っているものだそうだ。よくぞこんな処で、と信じられないような、例えば岩の間の松だったりする。 一方、栄養状態の良いところで育ったものは、きまって長い歳月の間に木の中心から腐ってくるのだとか。自然界の摂理が示唆する事柄のなんと的確で、なんとその意味の深いことか。思わず唸ってしまう。 

岬の分教場 引用
  2003/10/3 (金) 16:52:54 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
(添付1) 1065166544.1.jpg
(添付2) 1065166544.2.jpg
(添付3) 1065166544.3.jpg
岬の分教場

 「ここは私の教員生活の原点です」。壺井栄の「二十四の瞳」の
舞台、岬の分教場の想い出帳にそういった寄せ書きが目に付く。

 ━昭和三年四月四日、農山漁村の名が全部当てはまるような、瀬
戸内海べりの一寒村へ、若い女の先生が赴任してきた━
 「二十四の瞳」は昭和二十九年(1974)木下恵介監督によっ
て映画化され、ここ小豆島は一躍有名になった。壺井の本を読んで、
木下の映画を観て教師の道を選択した人は多い。
 教師がサラリーマン化したといわれ、教師の不祥事が増え、尊敬
されない今の時代。だからこそ、教師を目指した原点に立ち帰りた
くなるのだろう。

 明治三十五年(1902)、田浦尋常小学校として建築された切
妻瓦葺平屋建校舎(一棟に二教室と教員住宅を含む)は苗羽小学校
田浦分校として使用され、昭和四十六年(1971)、ついに閉鎖
の運命になった。
 「二十四の瞳」の舞台になった学校と一躍有名になり、訪れる人
は絶えない。付近の集落は今も昔日の面影を残す。自転車に乗った
大石先生が、そこの辻角からひょっこり現れるような気がしてくる。
 オリーブと醤油の島、小豆島には古き良き時代の日本がそっくり
残っている。教師をめざす人、教師の現実に直面し悩む人はこの分
教場の教壇に立ってみるがいい。生徒の経験しかない私でも教室の
小さな椅子に座るだけでジーンとしてくる。

 二十四の瞳映画村では昭和六十二年(1987)、田中裕子さん
主演で製作されたオープンセットをそのまま保存、公開している。
村内にある茶店「麺房竹林寺」では小豆島名産胡麻ダレ素麺とじゃ
こめしを味わえる。
 じゃこめしはあったかいご飯にカラカラになるまで煎ったじゃこ
と佃煮と大葉をのせたもの。じゃこめしと朝とれ一番素麺は小豆島
の風味そのものである。懐かしいおばあちゃんのおにぎりの味がす
る。

全47件(返信記事を除く) | ページ間移動→[ 1 2 4 5 ]


最大100件保持 | 管理者宛てEメール
MiniBBS-EX 1.15