「徒然草」

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ページ 2 (11〜20)
青空の「説法」と橋の下の「短歌」 引用
  2005/2/23 (水) 04:15:36 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
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□この寒空のもと、京の橋の下で暮している人がいる。京都の底冷えはこたえる。あのおばちゃんは大丈夫だろうか。愛犬のリンリンは彼女の命。あの健気な犬は元気だろうか。□旅先の北海道のホテル。窓の外はひどい吹雪だ。テレビのニュースでは全国的に寒波と伝えている。おばちゃんと、リンリンのことを思った。□全国の10万人に自社製無臭ニンニクを無料配布している名古屋製酪の日比孝吉社長にお願いしてこのおばちゃんの分も貰っている。この「蓬莱」とささやかな差し入れを携え、おばちゃんのところに通い始めて5年目になる。□おばちゃんが、ある日突然、橋の下から消えた。段ボールの家がそっくり消えていた。その跡形もなく、工事用バリケードで囲ってある。おばちゃんに何かあったのだろうか。何処へ行ったのだろう。□そんなある日、毎日新聞地域版に、このおばちゃんのことが載った。「喜びも悲しみも31文字。路上生活続け1000首」。孤独な心情を31文字の短歌に、その作品を墨字で書いて段ボールの家の壁に掲げている。毎週日曜日と水曜日の午前中にここで短歌教室を。お題を貰って短歌に、それを墨字の作品に仕上げてカンパをもらう老女がいる、と。□8年前、事情があって知人の女性を頼って京都に。その知人が3年前、交通事故で亡くなった。東京から一緒だった愛犬と別れるのが辛くて橋の下に居着いた。住み込みの仕事を探しているが犬がいるのでままならぬ。それは聞いていた。そっくりそれが記事になっていた。□新聞やテレビ取材をあれだけ嫌っていたのにナゼだ。署名記事だったので記者に電話して居場所がわかった。早速、会いに行った。元気そうで安心した。「短歌教室や人生相談をしてなんとか生き延びているわよ」。半年ぶりの再会だったからいつもより長居をした。□今の時期、地震被害に遭った新潟中越地区は何十年ぶりの豪雪という。積雪2メートルにすっぽり家が埋まっている。□昨年、12月の2日間、京都は東山の三十三間堂で瀬戸内寂聴さんの青空説法があった。「今からの豪雪の時期、新潟地震に遭った人の苦労は今からが大変なんですよ」。□新潟中越地震の義援金募集に寂聴さん自ら企画した青空説法。私は2回目の19日に行った。約2000人の聴衆が庭いっぱいに溢れていた。とても82歳には見えぬ寂聴さんの歯切れのいい語り口に引き込まれた。□「雪が降らないところの人、地震の被害に遭ってない人は、実感が湧かないものです。不幸に遭った人のことに思いをよせること。これが想像力です」。遠く島根県松江市からわざわざ来たという人。4時間も前から席を取っているという人もいて、寂聴さん人気に驚いた。□この3日後、青空説法2日間で集めた義援金など400万円を持って寂聴さんは長岡市の仮設住宅を訪ねていた。この行動力には頭が下がる。思っていても、それが実践出来るかというとなかなかー。テレビのなかの寂聴さんに拍手した。□「この世はもともと苦しみだらけ。苦しみと共に生きていくのが人生。だが同じ状態はそう長くは続かないものです。この苦しみを超えたら必ずいいことがあります」。□この前の青空説法と同じように、山古志村の人達にもそう言って励ましていることだろう、と思った。

「ペンギンの散歩は11時10分から」とのこと。 引用
  2005/2/1 (火) 19:39:00 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
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■「旭山動物園にもう行きましたか?」と会う人に言っています。このペンギンの散歩は11時20分から、とのことです。■以下、「雪の中の動物園」旭山動物園のパンフセットからの抜粋、冬季開園のあらましです。ご参考まで。水・木は休日です。折角行って休日、しかもペンギン散歩も見られなかったらガッカリなので要注意!のお知らせです。「後始末より前始末」。しっかり読んでからお出かけ下さい。---------■ 旭川冬まつり期間中(2/9-2/13)の水・木曜日に旭山動物園が開園することになりました。  臨時開園日 平成17年2月9日(水),2月10日(木) 開園時間・入園料 通常の冬期開園と同じです。 ■ただいま冬期開園中!(3/27まで) 今年も「雪の中の動物園」が始まりました。  1月末現在の入園者数は昨年を54万1千人も上回っています。■ ペンギンの散歩が11時10分にあるため,土日ともなると開園時間前に駐車場や門の前が混雑します。東門側は駐車場も売札所も混雑していないので,そちらの方の利用もお薦めします。正門・西門からの来園の場合は土日は15分程度早く来園することをお薦めします。 ペンギンの散歩は20〜30分行いますので,入園の際にあわてずにお越しください。 ■月毎の入園者 4月 14,296 5月 198,064 6月 155,300 7月 185,461 8月 321,500 9月 209,051 10月 142,259 計 1,225,931 11月 34,399 12月 14,123 1月 51,009 合計 1,325,462 ■ペンギンの散歩を行っています。 今年は例年より積雪が遅かったのですが,先日の雪で旭山動物園も雪化粧して,今年もペンギンの散歩の季節になってきました。 この散歩は,冬期間,遠くのエサ場まで子ども達を残してエサを取りに行くというペンギンの習性を利用するものです。夏期間は小砂利等でペンギンが怪我をする恐れがあるため積雪期にしかできない,まさに「雪の中の動物園」限定の企画です。また,キングペンギンは冬になると運動量が落ち,少し太り気味になることから,健康管理の意味も含んでおります。 ぜひ,この機会を見逃さないで「雪の中の動物園」を見学しに来てください。ペンギンたちの新たな行動を発見することができますよ。■実施期間 平成16年12月10日〜平成17年3月中旬(積雪が無くなるまで)  水・木は休園なので注意。 散歩するペンギン 〜 キングペンギン■  開園日の午前11時10分からぺんぎん館を出発し,中央通路を正門に向かってスロープを歩きます。その後,正門前の円形花壇(写真下。冬は雪で覆われます)に入り雪遊びをして,もと来た道をぺんぎん館に帰ります。その間,約20分かかります。 ■1<正式名称>  旭川市旭山動物園  <位置・面積> 〒078-8205 旭川市東旭川町倉沼 電話・FAX 0166-36-1104 北緯  43度46分(日本最北の動物園です) 東経 142度29分 標高 170m 面積 148,681.84u  ※ 緯経度・標高は正門の数値です。<開 園 日>  昭和42年(1967年)7月1日<飼育点数(平成16年11月1日現在)>  148種 806点(ほ乳類46種,鳥類91種,は虫類11種)■この旭山動物園のHPでしっかりペンギン散歩コースを確認してからお出かけ下さい。http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/asahiyamazoo/zoo/sc02_top.html

「地球にやさしい」話「人にやさしい」話 引用
  2004/12/8 (水) 01:51:36 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
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■「地球にやさしい企業」という広告をよく見かける。どうも腑に落ちない。「町内にやさしい企業」と置き替えたら分かる。どこかに人間の思い上りを感じる。山をぶち抜いて新幹線や高速道路をそこらじゅうに造っておいて、地球にやさしい、もないもんだ。■ITと呼ばれる情報通信の発達で全国各地、世界各国の商品が家に居ながらにして届く時代になった。指定日の指定時間に、全国どこにでも届く。ということは、24時間、日本国中をトラックが夜通し走り、地球に負荷をかけているわけだ。便利になった分、どこかにしわ寄せがくる。豊かさって何だろう、と思ってしまう。■今年の異常気象はまるで地球が怒っているようだ。1954年製作、黒澤明監督作品「七人の侍」でこんなシーンがあった。「我々百姓は心配症だで。雨が降ったら降ったで心配。風が吹いたら心配、照ってまた心配。何もないといつまでもこんな筈はない、とまた心配になるものでございます」■全国各地で地震、集中豪雨、水害がこんなにも一挙にやってきた年はない。全国各地の被害に遭われた方、特に農家の人には気の毒で言葉もない。謹んでお見舞いを申し上げます。■先日、三重県は阿山町にあるモクモク手づくりファームで広報・濱辺さんの結婚式に出席した。社内結婚ということもあってアットホームで和やかな結婚パーティーだった。最後の吉田専務のスピーチがよかった。やおら内ポケットから手紙を取り出して言った。「実は津市の自宅に通販生活さんからこんな『お見舞い』が届いた。我々は今までお客様に何をしてあげたら喜んでもらえるか、そればかり考えてきた。何をされたら困るか、この通販生活さんの視点はなかった。この手紙をそのまま読みます」■--お見舞い--拝啓 いつも「通販生活」をご愛読いただきまして、まことにありがとうございます。 このたびの台風におかれましては、心よりお見舞い申し上げます。家屋や道路など大きな被害の状況が報道されておりますが、皆様におかれましてはいかがでございますでしょうか。復興にさぞ困難をきたしていらっしゃるのではないかと案じております。 何もお力になることができず心苦しい限りですが、小社からご購入いただきました商品に破損や故障などございましたら、次のように対応させていただきたくご案内申し上げます。●商品のご購入時期に関わらず無償修理させていただきます。(1)過去3年(01年9月以降)以内にご購入いただいた商品で、修理不能の場合は無償で交換させていただきます。(2)過去3年以前にご購入いただいた商品で修理不能の場合、ご希望でしたら3割引にて販売させていただきます。※修理やご購入のお申し込みは04年12月20日までにお申し出のあったものとさせていただきます。 また、商品代金のお支払につきましては、10月中のご請求を止めさせていただきます。その他にも小社とのお取引で何か心配なことがございましたら、お気軽にご相談くださいませ。まだまだご心配な日々が続くと思われますが、一日も早く安心してお過ごしになられる日が来ることを、心よりお祈り申し上げております。敬具    2004年10月株式会社 カタログハウス受注サービスセンター■通販生活さんからの手紙を紹介、吉田専務がこう言って結んだ。「ひょっとしたら結婚生活も一緒かもしれない。相手に何をしてあげたら喜んでもらえるか。と同時に、何をされたら困るかを考える視点もいるのでは」■しばらくして(株)カタログハウスの役員にお会いした。この時、この話を紹介した。先日、「モクモクのお嫁さんによろしく」と丁寧なお便りをもらった。■あらためてモクモクらしい結婚パーティー、モクモクさんらしい話と紹介した次第。(広報・濱辺さんの掲載許可済み2004・10・28)

鏡の中の人生劇場 引用
  2004/11/9 (火) 17:05:09 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
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===== 鏡の中の人生劇場 ======-------------------------------------□行きつけの散髪屋さんが京都は北区紫明通りにある。創業60年、石井理容院がその店だ。---------------------------------------□大正2年生まれの親父が現役で活躍していたが2年前逝ってしまった。年一回、アルプスを単独登山してくる健脚の持ち主だった。はるばる北京まで、万里の長城も歩いてきた。---------------------------------------□奥さんのキエさんは、大正7年生まれ。夫、治六とともに毎朝5時起床、自宅近くの鴨川畔を1時間かけて散歩するのが日課だった。旦那を亡くして途端に老いてきた。---------------------------------------□息子の昭治さんは、昭和17年生まれ。趣味は自転車。イタリア製の70万もするものをはじめ、計5台をその日の気分で乗り分けている。休日を利用して、京の路地はすべて走破。舞鶴への日帰り、琵琶湖一周はずっと以前に完走済みという。1時間の散髪の間、みっちり自転車の講義を聴くこともある。昭治さんに勧められて自転車を買った人は数十名いるという。---------------------------------------□昭治さんの嫁、文代さんは昭和23年生まれ。「お客様のなかには、親子3代の人もいらっしゃいます。私が嫁いでくる前からのお客さんも多いので、この店ではいつまでも新参者です」「嫁いできて初めて店に出た頃は恥ずかしくてうつむいて仕事をしていました。その一部始終をお客さんに鏡の中でしっかり見られていたらしいです」。今は昔の物語を時折懐かしそうに話すことがある。----------------------------------------□今ではしっかり物の嫁、控えめな妻の配役をソツなくこなしている。この四人のハーモニーが、実にいい味を醸し出していた。1人欠けるとこうも寂しいものなのか、通う度に思う。キエさんの介護が深刻な課題に、それが手にとるようにわかる。----------------------------------------□豆腐屋の親父も医者も、滋賀県からはるばるやってくる農家のおっちゃんも高校生も、皆んなあたかも映画の散髪屋のセットに、そのお客さんの配役みたいな風情でやってくる。----------------------------------------□私はときどきセリフを間違って言って冷汗をかくことがある。ある日のこと。「暑くなってきたさかいに遠慮せんとバサッと切ってや!なんやこう、髪が多いと、髪の少ない人に当てつけみたいで、えろう気がひけてな」と大っきな声で冗談を言いながら、椅子に腰をおろした。----------------------------------------□昭治さんが、慌てて私の腕を引っ張る。鏡の中の昭治氏に目で訊く。「どうしたの?」彼の指差す先に、蒸しタオルで顔を隠して髪のうすい人が椅子に寝ていた。「そうかいな」「そうでんがな」お互い鏡の中で無言でうなずく。----------------------------------------□まるで鏡の中の人生劇場。

[お山参詣」岩木山頂ご来光ツアー 引用
  2004/10/4 (月) 22:36:21 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
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■レッツウォーク「お山参詣」/岩木山頂ご来光ツアー 岩木山の神々に五穀豊穣と家内安全を祈願する「お山参詣」そのお山参詣を気軽に体験できる「レッツウォークお山参詣」御幣を手に町役場から岩木山神社までの津軽路を歩き、津軽人の心を実感してみませんか。■「ご来光ツアー」は「お山参詣」のフィナーレ。早朝、岩木山9合目から徒歩で登頂し、ご来光を拝みます。・岩木山神社へ参詣(お山参詣)→日時 / 平成16年9月13日(月)8:00受付(役場前)〜9:30出発〜11:00昼食〜13:40神社到着〜14:30慰労会〜16:00解散→参加料 / 一人 1.000円→申込 / 8月30日(月)までに、岩木町観光協会まで。→お問い合わせ / 岩木町観光協会 Tel)0172−83−3000 〒036−1343中津軽郡岩木町大字百沢字裾野124※当日は、できれば男性は白短パンにラン二ングシャツ、女性は白短パンに白地系の着衣。履物はズック等、歩きやすいもの。その他のものは当日配布します。■岩木山への登頂(ご来光ツアー)→日時 / 平成16年9月14日(火)       1:30 役場受付 〜 3:00 岩木山8合目到着〜 4:20 岩木山頂 〜 5:30 ご来光を拝み下山       〜 7:00 岩木山8合目出発〜 8:00 役場解散 →参加料 / 一人 3,000円→申込 / 8月30日(月)までに、岩木町観光協会まで。→お問い合わせ / 岩木町観光協会 Tel)0172−83−3000 〒036−1393中津軽郡岩木町大字百沢字裾野124※防寒服・懐中電灯をご用意下さい。 毎年旧暦8月1日と前2日間に、岩木町百沢の「岩木山神社」で開催されます。五穀豊穣と家内安全を祈願し、白装束に身をかため、のぼりやごへいをかざし、お題目を唱えながら岩木山神社を目指す津軽最大の秋祭りです。登山囃子本大会(競技会)は昭和22年から開催されて、今年で54回目になります。 ■お山参詣(重要無形民俗文化財) 期間 旧暦の8月1日 内容 旧8月1日、近郷近在の部落から岩木山(お岩木様)を目指し、五穀豊穣・家内安全を祈願すべく、集団登拝する行事です。 起源は定かではありませんが、一説には鎌倉時代初期といわれています。しかしながら、現在のように形式化したのは、江戸時代中期の寛政三年(1719)八代藩主、信明の頃からと考えられています。 -----------■ お山参詣の唱言△サイギサイギ(懺悔懺悔)過去の罪過を神仏の前で悔い改める。■ドッコイサイギ(六根懺悔)人間の感覚器官の6つの根元。目、耳、鼻、舌、身、意。この六根の迷いを捨て、けがれのない身になる。△オヤマサハツダイ(御山八大)観音菩薩、弥勒菩薩、文珠菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、不動明菩薩、虚空像菩薩、金剛夜叉明王の八大柱の神仏。■コウゴウドウサ(金剛道者)金剛石のようにゆるぎない信仰をもつ巡礼。△イーツニナノハイ(一々礼拝)八大柱神の神仏を一柱毎に礼拝する。■ナムキンミョウチョウライ(南無帰命頂礼)自分の身命を捧げて仏菩薩に帰依し、神仏の戒めに従う。

現場に行かないと判らないこと 引用
  2004/9/13 (月) 19:15:20 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
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■大妻女子大学に大妻コタカ先生の「恥を知れ」の碑がある。--------------------------------◆先日、東京千代田区三番町の大妻女子大を訪ねた。そこには校訓「恥を知れ」の碑があるというのだ。原子力発電所や三菱自動車の欠陥隠しやデータ捏造、はては政治家や警察官の汚職まで「恥を知れ」と言いたいことのなんと多いことか。是非一度その碑を見たいと思った。----------------------◆果たして大妻中学校の中庭にその銅像があった。学祖、大妻ユタカさんは1884年広島県世羅郡三川村に生まれた。上京して奉職、家塾を創始し85年の生涯を日本の女子教育に捧げた。「知性や人間性は決して楽をして磨かれるものではない。自らを律し、社会の為に役立つ人に。恥を知れ。これは決して他人に対して言うことではなくてあくまでも自分に言うことです。人に見られたり聞かれて恥ずかしいようなことをしていないかと、自分を戒めることなのです」なるほど、そういうことだったのか。---------■「素晴らしい本です。是非読んでみてください」知人から本を送ってもらった。谷昌恒さんの「教育力の原点」(岩波書店)だ。第一章「人の痛みを知る」をそのまま紹介します。------------------◆長崎馬町教会に行ってきました。教会の方が案内をしてくださり、被爆地のあちこちを見させていただきました。つらく、重い旅となりました。 北九州市民から贈られた大きな石の碑がありました。文字通り断腸の言葉がつらねてあり、はじめてこの碑の存在を知った私は、深い感銘を受けました。◆あの日、原子爆弾を積んだアメリカの空軍機は、小倉に向かって発進しました。小倉には当時たくさんの軍需工場がありました。小倉の上空はあつい雲がいく重にもおおっていました。何回か、上空で旋回を繰り返した後、搭載機は長崎に向かいました。長崎の空も曇でした。視界はゼロ。やむなく、レーダーを用いて、投下の準備を進めていると、一瞬、雲が切れて、その雲間から、長崎造船所のドッグがはっきりと見えたということでした。 原爆は投下され、二十数万の市民が劫火に焼かれました。北九州市民はそのことを言うのです。惨たるあの災禍は、北九州市民が受けるはずのものでありました。地獄さながらの長崎市民の苦しみは、本来は北九州市民のものでありました。多くの長崎市民が、多くの北九州市民に代わって死んだのです。お詫びとも、慚愧とも、お見舞いとも、何とも言いようのない、居ても立ってもいられないこの気持ちを、長崎市民にお伝えしたい。碑面にはそうした趣旨のことが書かれてありました。◆-----  自分の幸せの日に、人の不幸を忘れない。  自分の不幸の日に、人の幸せを羨まない。------ それはこの世に生きる私たちの、もっとも大切で自戒でなければなりません。---------◆早速、その馬町教会を訪ねた。沖田牧師が庭を丁寧に案内して下さったがその碑はどこにも見当たらなかった。編集担当に確認したが著者は亡くなっていた。◆「『教育力の原点』という本にこんな一節がある」。そんな引用をしている本があって自分に重ねて恥じた。現場に行って確認してよかった。ひっょとしたら私もそう書いていたかもしれないからだ。(馬町教会の写真はいしだきよみさん撮影)

レベルとラベル 引用
  2004/7/30 (金) 17:03:11 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
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■初めて踏み入れた町に入るとワクワク、ドキドキする。どんな町なんだろう。その好奇心である。「チカン注意」。この看板がやたら目につく町だったりするとガッカリする。「ウチの町ではチカンを飼ってます。知らない人は注意して下さいね」。まるで「猛犬注意!」なのだ。「私たちの町からチカンをなくしましょう」。これでないとおかしい。その点、大阪府警の標語は「チカン、アカン」、まことにわかり易い。■「瞳は未来へ」。大分県は大山町の看板は清々しい気分になった。馬路村の「おんちゃん、おばちゃん、おはようさん」。コレもほのぼの、馬路村らしくていい。げに看板は町のレベルとラベルを如実に現す。■佐渡の交通標識にはいつも笑ってしまう。相川地区交通安全協会と相川警察署が建てた看板である。「スピード違反一万円、佐渡わかめ八百円」。「追越し違反九千円、佐渡するめ五百円」。これが今までの一番。今はこの「交通違反はもうおけさ」。気持ちは分かるがイマイチ。次に期待している。■ 京都のど真ん中、東洞院通り錦を上がったところに東錦駐車場がある。このガレージ入口にはこんな看板があった。「イバラナイ3ナンバーはどうぞ!」その下にこう添えている。「乗る人の値打ちと車の値段は必ずしも一致いたしません」。硬骨漢の親父の人生訓が滲む。 ■大阪伊丹空港に向かうため、名神高速道路に乗った。天王山トンネルを出たところで、奇妙なトラックに追いついた。荷台にペンキで書いた几帳面な文字が並んでいる。「積載量、女房、子供が食えるだけ」。おっちゃん、コレいい!だけど、無茶しなや。朝から笑わせてくれる。■はっきり言う。会社の張り紙はアリテイを現す。「時間厳守」や「約束第一」なんてスローガンが掲げてあると、それだけでその会社のレベルが分かってしまう。時間にルーズ、約束事が守れない会社とおつき合いしたいとは誰も思わない。すぐに剥がすがいい。「日本の食文化の向上に寄与し、地域の発展に貢献しよう」なんて大上段に構えたスローガンを掲げている会社も信用出来ない。言葉が心に響いてこない。■ 北海道は帯広市の六花亭製菓(株)を訪ねた時、社長室にこんな標語が掲げてあった。「あなたの今日の仕事は、たった一人でよい、この店にきてよかった、と満足して下さるお客様をつくることです。六花亭があるおかげで、人生は愉しい。そう言ってもらえるお店にしましょう」■ 小田豊四郎会長がこんな話をしてくれた。「名曲を聴いたり、名画を見てよかったなぁと酔いしれる気持ちと、おいしいお菓子に出会って味わった幸福感とは同じものだと思います」■以来、地方都市に行くと、決まって和菓子の店をのぞくようになった。すると、なるほど、その町の文化レベルがよくわかる。気をつけよう。あまい言葉とスローガン。

一票の格差・一校の格差 引用
  2004/7/20 (火) 17:08:31 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
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【参議院議員への一票の格差・甲子園への一校の格差】■49都道府県のトップを切って沖縄で高校野球県予選が始まった。と、同時に第20回参議院選挙公示だ、と。この暑い季節に選挙カーがうるさく走り廻る日々がしばらく続く・・騒音公害以外のナニモノでも無い。「日本人の視覚の美的感覚はあんなに優れているのに聴覚的にはちょっとね・・」と外国のヒトに言われないだろうか?■甲子園への道は厳しい。大阪では193校がひとつの代表の座を競う。一方、例えば鳥取県では28校でその座を競う。大阪では8回勝たないと甲子園に出れないが、鳥取では4回(4勝)で出場出来るというわけだ。■で、ふと思った。これって参議院選挙の一票の格差に似ていないか。鳥取選挙区(改選数1人)と東京選挙区(改選数4人)の格差は5倍強になる。「お一人お一人の一票の重みを噛みしめ」とよく聞くのだが、これって一票の軽さを噛みしめる人がいるってことではないのか。■16年1月、最高裁がこんな警告をしている。『現状が漫然と放置されるなら違憲の余地がある』。漫然と放置されてはいないか?違憲になる定数の是正、それひとつ解決出来ない、そんな政治家を我々は選んでいるわけだ。■この時期の新聞には、全国各地の高校野球予選の結果が載る。あの122対0の試合を覚えている人はいませんかね。この試合以降、あの年以後、いつの間にか「点差の開いた試合チェック」をするクセがついてしまいました。(笑い)■あの試合とは1998年青森県予選のこと。飲み会でこの試合のことを話すと知らない人は「そんなアホな!」と誰も信用しない。で、その資料を友人から取り寄せた。まぎれもなく7回コールド、122対0だった。■果たしてどんな試合だったのか?例えば3番三上君は初回でサイクルヒットを達成。初回の点数だけで39点。普通はこの時点でコールドゲームだ。2番小野君は17打席廻ってきた。4番珍田君ひとりで14安打12打点を記録している。■時を経て2001年。122点とられて1点も取れなかった県立F高校野球部のことが神奈川県の公立小学校の道徳の副読本に取り上げられることになったのだそうだ。「どんな状況でも物事を粘り強くやり遂げる大切さを学んで欲しい、と県教委」と新聞に載っている。■エーッ!オイオイ!どんな状況かもっとよく調べてからの方がいいのでは(笑)同じ高校生でここまで差がつくっていうのはイカンでしょ。■野球部員は10名しかいない。そのうち6人は急遽、大会直前にかき集めたのだそうな。卓球部や柔道部から勧誘したのだとか。大会直前に練習を観に行った町民の一人は呆れた。簡単なフライがとれない。投手はストライクが満足に入らない。予選のその日、知人の心配は的中した。もう目を覆いたくなる惨敗だった。■人生いろいろ、高校もいろいろ、考え方もいろいろ、ということか!?今回の徒然草はちょっと堅い話で他との格差アリ、ゴメン。この話を信じない人がいてまして。この欄での報告を約束したもので。

東京にいる君に「豆電球」を届けたい。 引用
  2004/4/30 (金) 21:33:45 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
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山の中に一軒ポツンと、そこだけ時間が止まったまんま、そんな「山の映画館」がある。「総天然色」と誇らしげに謳っている昔懐かしいチャンバラ映画のポスターが所狭しと壁面を飾っている。座席数は103人分しかない。だから立ち見が出てもせいぜい130人がやっとだ。 その昔、娯楽のなかった時代は盆、正月、秋祭り、町民運動会と村の行事がある毎、決まって映画が上映されたものだ。人口3919人のこの町で採算がとれる筈もない。いい映画を村の子供達に見せたい。その為にも映画の灯を消したくない。その一心である。その名も「山の映画館、大心劇場」。損得抜き、大っきな心で映画の灯を愚直に守り続ける男がいる。昭和27年生まれ、二代目館主、小松秀吉である。 昨年2月、NHKBSの特集―歌の故郷を訪ねて―で『南国土佐をあとにして』編があり、この大心劇場を舞台に全国放送された。往来の映画ファンが近隣市町村から詰め掛け、久し振りの立ち見が出た。主演の小林旭本人が突然、来場という演出に村人は沸いた。「まるで夢のごと、振って湧いたようなお年玉ぜよ。頑張って続けてやりよったらええことがたまにあるがよ」。憧れの銀幕スターを前にして秀吉はやや緊張の面持ち、嬉し涙で声を詰まらせ、しどろもどろで挨拶をした。 高知県は中芸地区、安田川沿いにひっそりと、その大心劇場がある。思えば秀吉が中学一年生、東京オリンピック迄が映画の全盛期だった。村人は心ときめかせ、いつも上映を楽しみにしてくれた。上映後もしばらくは、例えば法事の席でも、この前見た映画の話で持ち切りだった。 秀吉は大阪の大学に進学、やがて、フォークソングの虜になる。昭和45年、出身地の安田町で初めてコンサートを開いた時のステージネームが「豆電球」。以来、この「大心劇場」と「喫茶豆でんきゅう」を経営しながら、今もなお現役で唄い続け今年、丸30周年になる。 「豆電球」の命名が、いかにも秀吉らしい。この地方では、なかんずく農家の場合、トイレは決まって母屋と離れていた。子供が夜中にトイレに一人で行くのはちょっと勇気がいる。だから、なるべく我慢するのだが、そんな朝に決まって布団を濡らしたものだ。トイレの豆電球は小さくても周囲をほのかに照らす、いわば「農家の灯台」だった。豆電球みたいな存在になりたい、その思いを込めて命名したのである。故郷を唄い続けて30年、今や秀吉は人も知る「おらんく高知の豆電球」である。 昨年、秀吉が土佐は中村市で30周年記念ライブをやるというので覗いてきた。「豆電球、故郷を唄うIN中村」は、中村市内でふるさと酒場「寿吉」、旅の宿「寿吉」を経営する花岡社長夫妻の肝いりで実現した。もとはといえば、秀吉のオリジナル曲「ふるさと酒場」が結ぶ縁である。 中村プリンスホテルの大宴会場に、地元で活躍するフォーク仲間がお祝いに駆け付け友情出演、舞台に花を添えた。土佐は佐賀町で居酒屋「のんでや鬼守家」を営むフォーク歌手、森秀一さん(元鬼やんまのボーカル)、南国市で染色業を営む「歌う染物師」紺屋茂兵衛さん達である。津軽三味線の演奏を奉納しながら四国霊場八十八ヶ所を遍路して話題になった安仲由佳さんも、空路東京から駆け付けて友情出演した。 秀吉は高知県内各地の風物・風景・名人・名物をテーマに、今までに100曲以上発表している。例えば、幕末の志士、北川村の中岡慎太郎をテーマにした「土佐っぽ」、赤岡町の絵金画家弘瀬金蔵の伝記「絵師金蔵の詩」、大正町賛歌「きらら大正」「てっぺん四万十」、馬路村の応援歌「ごっくん馬路村の唄」などはイベントの度、地元で必ず歌われる愛唱歌となった。 「東京にいる君に」は豆電球のデビュー曲。今も全国に熱烈ファンがいる。 『南の風に乗せて、東京の君に手紙を書きます。田舎の方はレンゲも咲いて、もう春めいてきました。そして君の母さんに、みっちゃんの結婚式で会いました。君からぜんぜん便りがないと言いよったぜよ。たまには電話でもしちゃらにゃいかんぜよ。南国土佐から東京へ、東京へ行っちゅう君に』 『東京の暮らしにも慣れてきた頃だと思います。甘い言葉に気をつけんといかんぜよ、田舎とは違うきに。ところで俺の妹も卒業したら東京に行くがよよ。そんときは世話をかけるかもしれんが頼むぜよ。そんなに都会はいいとこですか。南国土佐から東京へ、東京へ行っちゅう君に』 『僕も元気で頑張りゆうきに、君も元気で頑張りよ。東京に行ってだいぶになるけんど、いつ頃帰って来るがぜよ。盆くらいに帰ってき。みんな待っちゅうきに。南国土佐から東京へ、東京へ行っちゅう君に』 秀吉の唄う「東京にいる君に」を、東京で働く高知出身者に聴かせてあげたい。公演タイトルは「豆電球ライブ、故郷を唄うIN東京」である。いわば『唄で巡る土佐の旅、こじゃんと土佐三昧』である。「あなたの心に小さな明かりを灯します」。そんなあったかい、心和むコンサートになるはずだ。(優績者連載『顧客創造・顧客満足』第15話・大歳昌彦)***************************************** 【豆電球コンサートin 東京】 日時:6月18日(金) 開場18:00  開演18:30  場所: 東京 西荻窪 西荻区民センター 料金: 前売り¥2000  当日¥2500 出  演:豆電球 http://www1.quolia.com/mamedenkyu/index.html友情出演:あんみ通 http://www.anmitsu.info/antuu_kouti02eda.htm

「 木を植えた男 」 引用
  2004/4/18 (日) 13:34:00 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
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[ 木を植えた男 ]

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地球の温暖化や乱伐による地球の砂漠化がいわれている。
一方で、人情の過疎化や心の砂漠化が指摘されています。
木を植えることは心の緑化運動に繋がる、先日、そんな
現場に立会った。

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島根県は奥出雲・仁多町にある築250年の屋敷に高知・馬路
村から柚子の木が嫁いできました。その植樹式に列席させて
もらいました。

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昨年10月、島根県中山間地域研究センターのお世話でこの「
一味同心塾」を訪ねました。料理研究家中村成子さんが仁多
米に惚れこんで「老後は自然豊かな仁多町で暮したい」とこの
地で料理教室を始めたとのこと。中村さんが著書で紹介して一
気に「仁多米ブランド」に。そのストーリーは、種を蒔き、根
を張る自然の作物に似て、大変興味深い物語でした。

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「私は柚子が大好きなの。3年前に植えた柚子が1年半で枯れて
しまって・・」。中村さんが屋敷の庭を案内しながらそんな話
をした。馬路村農協の東谷望史さんは柚子という言葉にはすぐ
に反応する。「来年春になるけんど、馬路村の実生の柚子を持っ
て来ちゃらぁ」。柚子が大好きと訊いては聞き捨てならなかった
のだろう。「そう、嬉しい!」。中村さんは遠慮したりしない人
だった。柚子が取り持つニタモノ同士である。

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前日、樹齢10年、高さ約2メール半の実生の柚子4本を山から掘り
出したとのこと。4月2日、高知県馬路村から7時間かけて東谷さん
自ら車で運んで来た。4月3日、10時から屋敷でその植樹式を。は
るばる高知県・馬路村から「柚子の嫁入り」と岩田一郎仁多町長
も列席。島根県中山間地域センター前所長井上さんと松原新所長
も立会い人として列席してくれた。

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植樹式の最中、ふと思い出したことがある。小豆島を舞台にした
小説「ニ十四の瞳」の壷井栄さんはサインを求められると決まっ
てこんな文句を添えたそうだ。「桃栗3年、柿8年、柚子の大馬鹿
18年」。『結実までそれほど時間がかかる。人間も一緒です。勉
強したことは今すぐ役に立たないかもしれない。学問とはそうい
うものです。損か得か、すぐに結果を求めないことです』

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『柚子の大馬鹿』、その言葉に壷井さんの柚子への、人間への大
きな愛を感じる。小説「二十四の瞳」は島の学校を舞台に、12人
の生徒と新米先生の人間愛でした。爽やかな読後感は今もしっか
り胸の中に残っています。

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そうか、木を植えるということは心の緑化運動なのか。心に爽や
かな風が吹く、この心地よさこそ心の緑化なのだ。

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損得なんて一切関係無し、往復14時間かけて木を植える男もまた
アッパレな大馬鹿である。ジャン・ジオノ(1895〜1970)の「木
を植えた男」が重なる。


MiniBBS-EX 1.15