「徒然草」

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「コップンカップ」 ムーさんへの手紙 引用
  2007/3/16 (金) 02:56:56 - OTOC
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■ 「コップンカップ」 ムーさんへの手紙。一冊の本が紡ぐ縁で、今度はタイに。これで直流から「交流」になりました。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■タイ語版の本を翻訳出版してくれたMuthita Panich(ムティター パーニッチ)さんがタイでの全行程のスケジュールを企画、通訳として同行してくれました。ムティターさん(愛称ムーさん)が組んでくれた旅程とムーさんの案内文です。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■ タイ王国に「ごっくん馬路村の村おこし」 を読んで大変感動した薬剤師さんがいます。彼女が勤務している病院ではハーブ治療をとり入れています。病院では付近の集落ドンバン村に契約農場を持っています。無農薬のハーブを作ってもらい、病院が全量買い取り、ハーブ加工品を作って売るという仕組みも、彼女自身が提案、実践しています。最近ではドンバン村の観光農場への取り組みも提案しているそうです。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■「馬路村の人達がタイに来たら、是非、うちの地域にも来てほしい」ムーさんが翻訳出版した「『ごっくん馬路村の村おこし』 タイ語翻訳本」をたくさん買って村人に配ってくれたそうです。彼女が勤めている 「Apaipubet 病院」(アパイ・プーベット国立病院)はバンコクから車で約3時間の 「Prajeenburi 県にあります。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■ 馬路村と地形がかなり似ている タイ南部 「Nakorn Sritammarat」県山奥の「 Kiriwong村」(キーリーウォン村)ここでは、自然観光というテーマで頑張っています。草木染めなどの体験コースもあり、ホームステイもできます。村の特産品として、果物の皮の成分で作った石鹸や草木染めなども。徐々にタイ全国でも有名になりつつあります。 山奥にあるので、村で泊まるしかありません。このあたりも馬路村に似ています。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■タイ南部「プーゲット県」周辺のヤオ島へ。馬路村に、ムーさんと一緒にやってきた、島で医者をしているニン君のいる島です。 ニン君は人口8000人余のこの小さな島の診療所で働いています。素朴な島は近年、観光化されつつあります。急速に観光化する時の歪みが此処彼処に。その実際をあるがまま見てもらえたらと、案内してくれました。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■□講演会・ チュラロンコーン大学□読者との交流会・ タイランド・ブック・タワー□アパイ・プーベット病院□ドンバン村□ヤオ島□キリウォン村〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■「ほほえみの国タイ」。笑顔で挨拶、それだけで人は人を幸せに出来る。それは本当でした。国際交流基金のバンコク駐在の皆さん、出版社やニン君やジャーさん、各地のスタッフの皆さん、お世話になりました。ムーさんありがとう。また馬路村ツアーを。お待ちしてしています。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ゆずはじまる祭りの記録/馬路村農協広報・菊池史香 引用
  2007/2/8 (木) 17:11:33 - M-OHTOSHI
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「ゆずはじまる祭りの記録」■ 面積の96%を山林で占る人口1100人程の山奥の村、馬路村。まだ林業の景気がよかった時代、農協もなにか産業を起こしたいと家の庭先にあったゆずに着目、ゆず栽培に力を入れはじめた。最初はゆず果汁だけだった製品も次々とゆず加工品の種類が増え、徐々にではあるが馬路村という名前、ゆずの文化が知られてくるようになった。産地直送販売もはじめ、口コミで街のお客さんが宣伝してくれた。「馬路村がんばれ」と応援の声が注文と一緒に街から届いてくるようになった。街からは遠く、これといって特別なものは何もない。ただ細いくねくねの県道だけが村と世界を繋げていた馬路村に「もしかしたらこの村で生き残れるかもしれん」と小さな光が見えだしていた。いつの間にかゆずは村の産業となり、70名を超える雇用の場となっていた。今度は工場が狭く感じるようになり、営林署の貯木場だった広い土地に新しい工場を建てる事になった。■ その頃、馬路村で住みたいという街の若者が次々と村に移住してくるようになる。遠い、道がわるい、なんにもない、そんな所へ人が来てくれるはずがないと誰もが思っていたが、「山奥にも人が呼べるかもしれん」徐々にそんな希望が見えはじめた。都会中心だった時代から少しずつ違う風が吹きはじめていた。コミュニティーが崩壊し、理不尽な事ばかりが渦を巻く世の中、高度経済成長を支えるべく農山漁村を離れていった都市の人々の空虚な気持ちと高齢化、過疎化が想像するよりも遥かに早いスピードで進む地方の現状。その世の中で都市と地方が対立の図式を描くのではなく、どうやって結び合っていけるのか、これを私たちは考える必要があった。■「この村でゆっくり過ごしてもらう仕掛けをつくろう。」 今回の「ゆずはじまる祭」はまさにそのきっかけの一つだった。村民もまた、街から人が来てくれる事によって新しいエネルギーをもらい、産地としての自覚、永遠にここで生きていくという意識が上がってくるかもしれない。 「3000人呼ぶ!」組合長がいった。実は同じ高知県の大川村という小さな村で謝肉祭という祭りを毎年行っている。大川村の黒牛を振る舞うというその祭りには毎年1500人くらいの人が来るらしい。大川村の人口が500人程、馬路村の人口が1100人程やったら、3000人は呼びたいねやぁ。という単純な理由だった。三千人ち、車が何台きて、駐車場がどればあいって、食べ物はどればあ用意したらえいものか。「そもそも目玉は何にするで。」みんながだまった。「ゆず…。」相手は牛、ここにはゆずしかない。■ 「何人くるろうねぇ」祭りの一週間前くらいからこれが流行語、というよりは挨拶に近い言葉になった。「おはよう」より「何人くるろうねえ」、「おつかれさん」より「何人くるろうねぇ」その度に農協組は「3000人よ」と答えたが、他の人らは「農協は頭がおかしいなっちゃぁせんろうか。大真面目な顔して、3000人、3000人いいゆうけんど」と首をかしげた。「そりゃぁ、蓋をあけて見なぁ誰にもわからん。」本当は大声で言いたかったが、3000人、3000人といいよったら、本当にその通りになるかもしれんという願掛けに近いものがあった。 そんな事をいっている間に、確実に日は一日、また一日と当日に向かう。案内板を村のどこに何本おいたらえいろうか、分散した駐車場からどうやって人を誘導したらえいろうか、駐車場係はやっぱり無線を持っちょかなぁいかんがやないか、来村者を数えるにはカウンター係がやっぱりいる、こんな話をようやく詰めだしたのがなんと3日前の事。「えーっと、ゆず祭りの日にち、11月3日やのうて、12月3日の間違いやないか。それやったら、今の状況もおかしくはないぞ。」と誰かがいった。いつものパターンだった。■ 山が少しづつ明るくなっていつもと変わらず静かな朝、当日を迎える。ゆずの森の会場では「いよいよやねぇ。」と呑気に談笑をかわす人など誰一人としておらず、各準備に「間に合わん、間に合わん」とまだ走り回っていた。9時過ぎ、「あっ、ボンネットバスが来た!」と誰かがいった。みんなが一斉に準備の手を止め、ボンネットバスの方を見る。「お?おー?乗っちゅう?乗っちゅうでえ!」まだ朝も早いというのに、安田駅発(馬路から30分程かかる場所)のボンネットバスからは人がぞろぞろ降りてきた。「おーい、お客がきたぞー、各自場所につけよー。」こうしてゆずはじまる祭は慌ただしく幕を開けた。天気は快晴。風はなし。11月とは思えない暖かい日射し。■ 森林鉄道の駅があり軌道沿いに商店がずらりと並んでいた頃、かつてここはこんな感じだったのだろうか。普段はポツポツとしか人の見られない日浦街道に行列がぞろぞろと歩いている。 今回の目玉の一つとなったのは、ごっくんのラベルをはじめ、段ボールパンフレットに至るまで馬路村を様々に表現してくれる田上さんの「ごっくん原画展」と、ゆずを売りはじめた当初からのパンフレット、ポスター、カレンダーを展示した「ごっくんポスターとカレンダー展」だった。「田上さんはどんな人ですか?」その質問の度に「シャイなおじさんです」と答える。「恥ずかしいてここにはようおらん」と、彼は朝、準備を整えると早々に帰宅してしまった。そして、会場には誰よりもしみじみと作品を眺めている姿がある。そう、今の馬路村を語る上で外せない人物、松崎さんの姿。組合長が直接買い付けてきた天然梁瀬杉の巨大パネル(まだパンフレットを貼る前、「いやー、美しい。」と、このパネルを展示作品だと勘違いしたお客さんがいた。)に20年前、彼らと出会った頃から最近の新作までがズラリと並んだ。馬路村と作品と彼らが歴史の上でそっとより沿う。彼と出会わなければ今この世界はなかっただろう。 ■もう一つの目玉になったのは馬路温泉ゆずいっぱいのゆず風呂無料。ゆず部会のおんちゃんに今回の企画を説明した時、「役に立つなら」と提供してくれたゆず玉を温泉にどっさり浮かべた。「わー。えい香りやー」「つるつるやねぇ」と評判も上々。馬路温泉はじまって以来の入浴者数700人を記録する。 その他、ごっくん一年分を掛けたごっくん早飲み競争では馬路っ子びっくりの飲みっぷりに会場が沸き、川上から川下にゆず玉を流して競争させるゆずレースやおなじみ豆電球ライブなど、どうなる事かと心配していたステージもお客さんに助けられ大旨順調に進んだ。ゆず搾り体験からは農家のおんちゃんとお客さんの楽しそうな会話が聞こえ、花見台に設けたゆず茶席では安田川を眺めながらのんびり過ごすお客さんの姿があった。駐車場から会場までの道のりに設置したごっくん給水所では喜んで何杯もおかわりをする姿も目立った。「ごっくん馬路村の村おこし」の著者である大歳昌彦さんやゆず料理の本を出版した料理研究家の中村成子さんのサイン会も行われ、女性部のゆず寿司やゆずカレーなどゆずづくしの食べもん屋にも長い行列が出来た。■ 反省点は山程ある。村の入り口では史上初の車の渋滞がおきたし、駐車場もパニックになった。ボンネットバスの乗り場には遥かに定員を超えたお客さんが並んだ。不慣れな事が多すぎてお客さんには迷惑をかけたが、目の前でお客さんがおいしいとゆず料理を食べてくれた事、えい香りやと喜んでくれたこと、なにより細いくねくね道の行き止まり、ゆずしかないこの山奥へ人が来てくれたという事が嬉しかった。「時代の流れだから仕方がない」とあきらめるのか、「まだまだできる事はあるはずや」と可能性を探すのか、私たちがこの村でこれからも生きていく勇気を確かにもらった一日になった。 

熊本は市内花畑町の居酒屋でー。 引用
  2006/12/31 (日) 10:27:57 - MーOHTOSHI - <メール送信>
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熊本の居酒屋でー。■熊本は市内花畑町に小さな居酒屋がある。うっかりすると見過ごしてしまう。12坪24席の店だ。オープンしたのは2004年8月31日。120種類の焼酎を揃えているというから嬉しい。年中無休。夕方6時から翌朝7時までの営業というだけで驚いてしまう。普通の人達の暮らしのなかの喜怒哀楽を毎日見続けているわけだ。深夜に、明け方に、泣きながら入って来た人もいるだろう。怒りに震え、酒にくやしさをまぎらす為に男が一人やってきたこともあるだろう。それぞれの人のそれぞれの人生ドラマ。居酒屋という舞台で居酒屋の主人とそのスタッフの配役をメいっぱい演じて生きている。飽きもせず、諦めず、日々お客さんの心に灯をともす仕事だ。そのことに深い同情と畏敬の念を抱く。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■「何か店長、お勧めの焼酎はないの?」。そう言うお客さんには決まってわざわざ馬路村から取り寄せた柚子果汁「ゆーず」を入れた「柚子割り焼酎」を出してくれる。高知は馬路村からわざわざ、なぜだろう。「私が美味しいと思ったものは手間がかかっても取り寄せています」「お客さんにも美味しいものを飲んでもらいたいじゃあないですか」。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■ところでなぜ居酒屋なのか、小西オーナーに聞いてみた。「うちは母子家庭でしてね。叔父が飲食店をやってました。子ども心に叔父の仕事にあこがれてましたね。だだ、私は親を泣かしたらいかん。その気持ちは強かったんです。親の勧める通り、大学に進学、一流と言われるゼネコンに就職しました。結婚して子どもが出来てハッと思ったんですね。私は親の為に親の望む安定した大手メーカーに就職した。「この子は親の為に自分のしたい仕事をあきらめなくてもよか」。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■気がつけば小西さんは30歳になっていた。「会社を辞めて居酒屋をする」。そう言った時、みんな猛反対した。不透明といわれる時代、安定した職場をなぜ辞める。最後に奥さんに相談した。「毎日遅くまで働いて、疲れた顔をして帰って来る。前のあなたはもっと輝いていたわよ。あなたの好きなことをしたら」。妻が一人背中を押してくれた。■その頃、大学の時の友人が熊本で居酒屋で大成功していた。妻と子どもは実家の福岡に帰し、一年間、友人の居酒屋で働くことにした。食材や酒類の倉庫に寝泊りした。一年半後には自分の店をオープンするんだ、という目標だけで、踏ん張った。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■「同級生の下で働いて、お前にはプライドはないのか」「年下のバイトの子にアゴで使われてお前は悔しくはないのか」。そんなことをいっぱい言われた。明確な目標を夢を持っているからだろう。そんな細事は全く気にならなかった。仕込みから翌朝7時まで、交代なしで働いた。それは志願したことだった。自分に妥協しない。それは支えてくれる家族への約束だった。「辛くなかったか、といえば嘘になります」。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■今度、この小さな店が参加対象236店の参加した2006年第1回「居酒屋甲子園」の日本一に輝いた。全国に居酒屋は15万軒あるそうだ。「NPO法人居酒屋甲子園」の主催。大会会場の日比谷公会堂には2000人が集まった。「居酒屋は夢を語る場」「外食産業が変われば日本が変わる」。決勝大会に進出した居酒屋がそれぞれにプレゼンテーションをする。「憲晴百が日本一!」、その瞬間、メンバーは飛び上がって喜び、小西オーナーは感動で身震いがしばらく止まらなかった。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■「居酒屋甲子園」にエントリーすると50項目に及ぶ「覆面モニターチエック」がある。小西さんは言う。「いわば、お客さんが私の代わりに社員教育してくれるわけです」「クレームは私が注意しなくてもお客さんが言ってくれる教育ですから」。■笑顔ができない子が職場に入ってきた時。「君は笑顔がかわいいね」と何度も繰り返し言うそうだ。「言い続けると、いつの間にかホントいい笑顔になりますね」。なるほど、日々の実践での学びだから説得力がある。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■単なる酒屋ではない。居心地のいい空間、だから居酒屋なのだ。「私はこの小さな店を、お客さんの夢のいっぱい詰まった店にしたいんです」。職場のメンバーに、お客さんに、小西さんはいつも問いかける。「あなたの夢はなんですか」〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜■http://www.kenhappyaku.jp/居酒屋「憲晴百」〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

もったいない 引用
  2006/10/12 (木) 14:17:54 - 0104 - <otc@onstage.co.jp>
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================『 もったいない 』================ーーーーーーーーーーーーーーーーーー   ■ 平成の大合併が進められている。3,232市町村が、来年4月には1,820市町村になるそうだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー   ■広島県の県北の過疎地に生まれた私にとって、瀬戸内海の向こうにある4つの国は、長く憧れの地だった。ーーーーーーーーーーーーーー   ■四国は4つの国から為る島。香川は讃岐うどん、徳島は阿波踊り、高知は土佐カツオ、愛媛は伊予みかんのイメージだった。ーーーーーーーーーーーーーーー   ■今度の合併で四国中央市が誕生した。伊予三島市と川之江市と宇摩郡土居町、宇摩郡新宮村が合併して四国中央市だという。中央というのは記号ではないのか。地方に対する中央だ。なんとなくしっくりこない。ーーーーーーーーーーーーーーー   ■山梨県の4町2村で合併した南アルプス市の時もかなり驚いた。北アルプスは分かる。南アルプス市ってどこよ?ならば、東アルプス市と西アルプス市があるのか。最初は南アルプスハイツというマンション名前かな、と思った。ーーーーーーーーーーーーーーー   ■銀行だってそうだ。統廃合でどこがどこになったのかさっぱり分からない。太陽神戸三井銀行までは覚えている。ジュゲムジュゲムを連想した。これ以上増えたら電話に出るオペレーターは困るだろうなぁと心配していた。ある日、さくら銀行になった。さくらは全国的に春のイメージ。まさか季節限定の銀行ではないでしょ、と思った。そのさくら銀行が、今度は三井住友銀行になった。ーーーーーーーーーーーーーーー   ■三井と住友はいずれ劣らぬ名門財閥。切磋琢磨、長くしのぎを削っていた。今は、仲良く三井住友銀行である。三井銀行の入社試験に落ちて住友銀行に受かった人、またその逆の人もきっといる筈。人生は分からないものだと思い知ったに違いない。三井家、住友家にはそれぞれ立派な家訓がある。その辺りのすり合わせはホントに大丈夫ですかね?いらぬ心配をしてしまう。ーーーーーーーーーーーーーーー   ■高知県内の合併に伴う地名の不思議は、四万十市と四万十町だ。「四万十村がないから、まだましぜ。おまん、何か文句あるか」と言われたら、「いいえ、別に」と謝るしかない。今度合併する時にはすんなり、四万十市四万十町になるから便利といえば便利だけど・・・。他府県の人はこんがらがるだろうな、と思う。ーーーーーーーーーーーーーーー   ■四国中央市に対して馬路村はさしずめ四国僻地村になる。「ばじむらって、いい名前ですよね」とよく言われる。中国、四国を除く全国平均で言えば、「ばろむら」「ばじむら」「うまじむら」の読み方で、ほぼ三等分だ。馬路公認飲料「ごっくん馬路村」でようやく「うまじむら」と広く知ってもらうようになった。ーーーーーーーーーーーーーーー   ■市町村合併で村の数は197になった。香川県みたいに村がひとつも無くなった県もある。これからの時代、村はブランドになるかもしれない。さしずめ、馬路村みたいな「不便のいい村」は大いに期待できる。ーーーーーーーーーーーーーーー   ■人は誰しも心のなかに故郷がある。「あなたの故郷はどこなの?」「四国中央市よ!」。どうもしっくりこない。四国中央市の和紙よりも宇摩の和紙の方が土産物にはしっくりくる。ーーーーーーーーーーーーーー   ■土から産まれた物と書いて土産物。その土地固有の風土、風景、風習から生まれる風味がすなわち、地場産品の故郷の味ではないのか。ーーーーーーーーーーーー■川之江の風情、伊予三島の風流が、「四国中央市」ではるか遠くに行ってしまった。ーーーーーーーーーーーーーーー■歴史はかけがえのない財産、地名は金で買えない資産であり、顔である。それをあっさり風化させるなんて。まこともったいない。ーーーーーーーーーーーーーーー■マータイさんよりはるか昔、「もったいない」は死んだばあちゃんの口ぐせだった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー■(写真は今年4月、馬路村に完成した「ゆずの森」加工場の安田川沿い遊歩道の看板)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

げに 方言は 故郷の宝です 。 引用
  2006/2/6 (月) 15:03:49 - m-ohtoshi - <メール送信>
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■ 『 げに 方言は 故郷の宝です 』 ■木屋町の店に関島さんのライブを聴きに行った。「熊本弁で唄っているいい歌があります。京都でのライブの時、本人の唄を聴いたらいいですよ」。土佐弁の子ども詩集「あの詩の子、この子の詩」(北水刊)を読んでくれた人が「熊本弁の唄もいいですよ」と薦めてくれた。■エレベーターの無いビルの3階、ステージのある30人も入れば満員になる店だった。その日、観客は14人ほど。皆さん、追っかけのファンらしい。2時間びっしり、2500円のチケットは勿体無いくらい、しっかり、たっぷり「関島さんの人生」を唄ってくれた。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜       《 生きたらよか 》 ──  関島秀樹・作詞、作曲/鈴木賢・編曲──    (1) そらあ時々ゃ おれたちも/ 寂しか夜バ 過ごすこつもあるばってん/    二人きりの暮らしも 長うなって/これが当り前のごと 思うよ /   あそこのだれかれが 結婚したとか /かわいか孫のできたて聞くとも もう慣れた / ぜいたくバ言うたら きりんなか/元気でおるだけで 幸せと思わんなら/ それでどうかい うまくいっとるかい/ 自分のやりたかこつバ 少しはしよっとかい/  心配せんでよか 心配せんでよか/  結構二人でけんかバしながら 暮らしとるけん/ 帰らんちゃよか 帰らんちゃよか/ 母さんもおまえのこつは わかっとるけん/   (2)そらあ時々ゃ 帰ってきたり/ ちょこちょこ電話バかけてくるとは うれしかよ/ それにしたって 近頃 やさしゅうなったね/ なんか弱気になっとっとじゃなかつかい/ 田舎があるけん だめならもどるけん/ 逃げ道にしとるだけなら 悲しかよ/ 親の為とか 年のせいとか/ そげんこつバ 言い訳にすんなよ/それでどうかい 都会は楽しかかい /今頃後悔しとっとじゃ なかつかい / 心配せんでよか 心配せんでよか/  父さんたちゃ二人でなんとか 暮らしてゆけるけん/ 帰らんちゃよか 帰らんちゃよか/ 今度 みかんバいっぱい 送るけん/ 心配せんでよか 心配せんでよか / 親の為におまえの生き方 変えんでよか / どうせおれたちゃ 先に行くとやけん / おまえは思うたとおりに 生きたらよか /〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  ■関島さんは熊本県荒尾市出身、1954年生まれ。現在、滋賀県は琵琶湖畔に住む。  1995年にリリースした歌がこの「生きたらよか」。熊本弁の自身の歌「生きとるけん」のアンサーソングだそうな。同郷の、ばってん荒川さんが1996年「帰らんちゃよか」のタイトルで発表。2004年、同郷の島津亜矢さんがこの「帰らんちゃよか」を発表。じわじわと評判が拡がっているらしい。■関島さんに許可をもらったので、歌詞と関島さんのHPアドレスを書いておきます。是非、関島さんの「生きたらよか」を聴いてみて下さい。  ■その日は格別寒い日でした。一人の帰り道、なぜか、高見順さんのこの詩を思い出した。■作家で詩人の高見順さんは晩年の10年間は病床にあった。  ある日、病室の窓からふと外を見ると暴風雨のなか、一人の  少年が新聞を配達していた。その時、少年の姿を詠んだのがこの詩という。==■「 なにかをおれも配達しているつもりで / 今日まで生きてきたのだが / 人びとの心になにかを配達するのが / おれの仕事なのだが /  この少年のようにひたむきに / おれはなにを配達しているだろうか 」==  ■高見順さんの詩は人の心に灯をともす詩だ。  関島さんの唄もまた、人の心に灯をともす歌だった。丁寧な、いい仕事をしてるなぁ、と思った。 ■ 関島秀樹さんのHPhttp://www.natural.fm/index.html

◇◇◇町角の看板スター、今昔◇◇◇ 引用
  2005/10/26 (水) 04:09:52 - OO-TO-SH I - <メール送信>
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◇◇◇町角の看板スター、今昔◇◇◇~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~□■□■「八百三」は「やおさん」と読む。京都は中京区姉小路東洞院西入るにある。看板はあの北大路魯山人筆という。■柚味噌は宝永五年(1708年)、初代・八幡屋三四郎が千利休の好みを創製したものである。歴代皇室の御用達、その製法は家伝秘法、代々受け継がれてきた。■柚子を味噌に合わせる折に数種類の滋味深い食品を加えているそうだ。謂わば薬膳である。「昔は赤ちゃんの離乳食や病気見舞いにお遣いいただいたようです」。さもありなん、と思う。■柚子は愛宕山麓にある柚子の里・水尾の産。昔は嵯峨の奥地・保津峡の山里からはるばる背中に背負って柚子を運んできたそうな。それにしても、あの北大路魯山人が‥。町角にさりげなく、がいかにも古都らしくてお洒落だ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~■□■□北大路 魯山人(1883年 〜 1959年)は京都市は上賀茂の生まれ。本名は房次郎。画家、陶芸家、書道家、漆芸家、料理家、篆刻家など様々な顔を持つ。■上賀茂神社の社家・北大路清操、とめの次男として生まれる。美食家としてつとに有名。38歳で美食倶楽部、42歳の時に星岡茶寮などの料亭を創業し、そこで使用する食器や料理を自ら創作していた。■1955年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されるも辞退。「芸術家は位階勲等とは無縁であるべき」との信念からだ。漫画『美味しんぼ』の登場人物海原雄山は、魯山人がモデルといわれる。■魯山人ほど評価の二分する人も少ない。「百年先の知己を持て」と言っていたそうだから、「なるほど」である。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~□■□■桂月堂は京都で最初に欧風菓子を製造販売した店として知られる。看板はあの富岡鉄斎筆。 ■ 上京区室町通一条下る東側に文人画家「富岡鉄斎」の『富岡鉄斎邸跡』がある。鉄斎は法衣屋の次男に生まれた。耳が不自由だったそうで、早くから国学、漢学など学芸の道に。■『宜興甕壷譜』の和訳、『銕荘茶譜』を発刊。数々の煎茶会にも積極的に参加したが、純粋に文人をもって任じ、博覧会、展覧会に出品することはなかった。■国際的に高い評価がある鉄斎だが、明治の中頃までは極めて少数の具眼達識の士以外は彼の実力を知る者がなかったという。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~□■□そこで、この「文蛾」の看板である。「伝統の京野菜でおもてなし」を謳うこの店の看板は不肖大歳昌彦筆。ほんの少数の具眼達識の士に高い評価がある。(笑)ひたすら、百年先の評価を待つ。たとえ重要無形文化財保持者の指定があっても辞退する、かもしれない。カッコたる信念は無い。位階勲等とは無縁と悟っているに他ならない。■この店の在所は下京区不明門万寿寺上る。平成の創業である。看板を看るついでに食べに、食べに行ったついでにこの看板をチラッと看て下さい。

森と共に生きる男 引用
  2005/8/18 (木) 20:53:21 - OO-TO-SHI - <メール送信>
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■「トヨタ白川郷自然学校」校長・オークヴィレッジ代表 稲本 正■ 夏目漱石から手塚治虫、ソローからアインシュタインまで縦横に語る森の男がいる。森を語る時、この男は欠かせない。その男こそ、この稲本正である。森に関する多数の著書で広く知られる。「森の惑星」「ソローと漱石の森」「森の自然学校」「森の博物館」等々の著書は今や森林学を学ぶ大学生必読の教科書である。■ 稲本は立教大学で原子物理学を研究していた。南極の二酸化炭素濃度が高まり、地球温暖化を引き起こすという予測データを見て突然、退職を決意。二酸化炭素の吸収源となる森林の活性化に取り組むことにした。仲間と共に1974年白山山麓の清見村(現高山市清見町)に工房を構え、その名を「オークヴィレッジ」に。「地球のなかのオークヴィレッジ」。当時、既に現在の地球環境問題を予言していたことになる。■ヴィレッジの土地は、支援者のお陰で2万5千坪に増えた。しかし、これだけの土地を「志」だけで開拓、工芸村を運営するのは至難の業。入植した翌年には精も根も尽き果てた。困り果てて思案していると、モンペ姿の地元のおばあちゃんがやってきた。「皆さんごくろうさん。苗を持ってきたで、植えてね」。木や草花を植える度、大洞のおばあさんの笑顔が浮かぶという。■稲本が還暦を迎え、満を持して書いた本が「森と生きる。」。稲本は実証の男、こと細かくグラフを表わし、説得力のある数字を重ねる。「例えば牛丼一杯分の肉を育てるのに、牛は二リットルの水がいる。私達は牛丼一杯につき二リットルの水も買っているのである」。言われて初めて、その事実に唖然とする。稲本の著書「緑の生活」はソローの「森の世界」を意識したものに相違ない。その本の中で稲本が自身の歩みを正直に語っている。■合掌づくりで知られる世界遺産白川郷を訪ねる観光客は年間150万人、しかし観光客の平均滞在時間はわずか45分という。私はたった2時間のインタヴューで稲本正を書こうとしている。木を見て森を見ずにならないだろうか。急遽、森の宿オークヴィレッジに一泊することにした。■稲本は新刊本「森と生きる。」のなかで、還暦を迎えるにあたっての焦り、自身の迷いを素直に綴っている。南は西表島から北は知床まで、森林生態やそこに住む人々の暮らしをつぶさに見て廻った記録である。「森の惑星プロジェクト」は世界文化社の企画で稲本が世界20ヶ所の森を訪れる企画。「多分、現代の日本人として最も幅広く森と出会い、森と真摯に対話した人間の一人でしょう」。■稲本はヴィレッジの開拓30年、人生60歳の節目に立って「漱石の迷み」に至ることに。「植物は太陽の光と水があれば生きていける。しかし人間は酸素を供給してもらい、食料がなければ生きていけない。人間は果してもっとも進化した生き物なのだろうか」。■時に、稲本の話は森林学から文明や文化に及ぶ。「我々は、我々の理念を知って支援してくれる一部の人の為だけのものではなかったか?」という反省もあり、今年、「森の環境プロジェクト」を立ち上げた。気軽に買ってもらえる作品を制作。NPO法人「どんぐりの会」を通して売上の一部を植林や育林の活動に役立てるというものだ。■それは大リーグのイチロー、松井秀喜のバットを作る職人、久保田五十一との出会いから生まれた。岐阜県養老町にスポーツ用品のミズノテクニクスがある。ミズノテクニクスが北米を中心に輸入しているバット用木材は年間15万本。うち約一割の一万本が節があったり、腐っていたりして使えず、やむなく焼却処分していた。■バットとしては不適格材でも、オークヴィレッジだとバットやボールなどのストラップや、キーホルダーに加工出来る。東急ハンズや丸善、紀伊国屋書店など全国の約100店舗の販路がある。オークヴィレッジの近くに「バットの森」を獲保、バット材となるアオダモなどを約一ヘクタール植林することにした。■「知る人ぞ知る存在」からの脱皮を決意。稲本が考えた「木の循環プロジェクト」はモノづくりと地球環境の保全を結ぶ新しいシステム。オークヴィレッジの商品を購入することで森づくりに貢献することになる。■今、オークヴィレッジのメンバーは80名に及ぶ。真に継続可能な木の文明を!その活動が加速した。これからどう展開するか、稲本正から目が離せない■ 稲本は昨年、請われて「トヨタ白川郷自然学校」の校長に就任した。「国内にある自然学校で唯一、長期滞在可能な施設」という。172ヘクタールもの敷地に90人が宿泊できる学舎を設けている。世界各地の森や欧米の自然学校を訪ね歩いた稲本は、子どもだけでなく企業トップも一緒に学ぶ姿を目の当りにしている。「自然を体験しながら、自然を守るための学習をする施設にしたら」と提唱、トヨタ自動車がその土地と建物を提供することになった。■新たに設立する市民団体でその運営をする。原生林でのトレッキングや絶滅の危機にあるモクチョウの育成など百を超える講座になるという。「例えばマイナス193度でも生きているアゲハ蝶がいるんです。人間よりはるかに優れた性質を持っていることに驚きます」。なるほど、面白そうだ。

馬路温泉の心配人 引用
  2005/7/19 (火) 18:58:29 - OOTO-SHI - <otc@onstage.co.jp>
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■人口千百六十一人の村だから、みんな義人君のことは知っています。温泉で働いているおばちゃんたちはみんな母親みたいな存在。青年団長時代の数々のヤンチャも全部知っています。四年前に結婚。やっと、落着きが出てきた、ともっぱらの噂。「最近は頑張りゆうで」。最近は、に力を込めて言うから話がまっこと判り易い。■その義人君が昨年、馬路温泉の支配人に抜擢された。「そりぁよかったやいか。だけど、支配人という名称、あまり好きではないがよ」。義人君が怪訝そうな顔をしている。「義人君は支配する人、従業員の村のおばちゃんは支配される人になるぞ。さんざん迷惑をかけて、世話になったやいか。おばちゃんを支配したらいかんがやろ。年令的にも君はまだ若いんだから、支配人なんて名刺を出す時、気恥ずかしいことはないかい?」「それは確かにありますね」■支配人なんて呼び方は止めようよ。何にもないこんな山の中の村へわざわざ来てくれるお客様に向けての名前にしないか。「気配りと心配りのできる支配人を目指しています。その決意を込めて心配人(しはいにん)という名前にしました」。名刺の裏にその名称にした理由を書いたらいい。■「それ、いいですねえ」義人君はその日から「心配人」になった。■名刺は最初の切り札。思いがけない効果があるという。「なにしろ初対面でもこの名刺一枚で話題の中心になれるがです」それほど一般的に名刺がありきたりで面白くないものが多いということだろう。■「心配人ですか。これはいいですね」。総じて大きな名のあるホテルの支配人に褒められるという。「この字、印刷ミスで。間違っちゅう」。注意されるのはきまって弱小の宿の支配人というのが可笑しい。■こんなクネクネ道のたいそう「不便のいい村」に、昨年一年間で全国各地から三四七団体・六一七〇人の視察研修団があった。「ごっくん馬路村の村おこし」の成功事例研究である。■村唯一の宿泊交流施設である「馬路温泉」の役割は大きい。サスガと満足してもらえるか、ガッカリ落胆して帰すかはひとえに義人君はじめスタッフの皆さんの気配りと心配りに係っている。■村のことを一冊の本にする。それは同時に村民になることを意味する。「馬路村では…」とラジオから流れると思わずボリュームを上げ、車を止めて聴く。ひどい雨量だという。がけ崩れや、台風にならねばいいが、と心配する。ふとした時にすみちゃんの馬路寿しが無性に食べたくなる。馬路温泉の対応が悪かったと私にクレームのメールがくる。いわく、「本に書いてあることと違う!」と。■「ごっくん馬路村の村おこし」を著して以来、馬路村広報担当であるとともに、クレーム担当窓口でもある。その都度、村役場の彰二君や馬路温泉の義人君にメールを入れる。■馬路村へ通いはじめて、かれこれ十年になる。当時の馬路温泉はそりゃあひどかった。イメージ先行、実態ボロボロ。暴れたくなった。何度も通ううちに、目に見えて良くなった。施設もサービスも今は隔世の感がある。■千客万来、それはお客様が馬路ファンになって「不便がいい村」を全国ブランドにしてくれたお陰である。■ここに一人、京都からいつも心配人のことを心配しているおんちゃんがいます。馬路村のおんちゃん、おばちゃん、義人君のこと、これからも頼むぜよ。

34種類の分別。ゴミゼロ宣言の町 引用
  2005/5/31 (火) 21:14:01 - 00104
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■人口2124人、世帯数860戸。上勝町は徳島市内から南西40キロ、四国で一番小さな町である。四国山脈の南東山地標高100メートルから700メートルの間に大小55の集落からなる。総面積は109.68平方キロメートルのうち85.6%が山林である。高齢化率は46%、過疎と高齢化が同時進行しているこの町が今、全国から注目を集めている。■ 上勝町は2003年9月19日の町議会で「ゼロ・ウェイスト宣言」をした。ゼロ・ウェイストは廃棄物ゼロという意味。2020年を目標に焼却や埋め立て処分されるゴミの排出をゼロにするという。具体的な目標年次を定めて宣言するのは全国初である。■ ダイオキシンなどゴミ焼却や埋め立てで有害物質が発生するのを防ぎ、地球環境に対する影響を最小限にしようというものだ。そのポイントは4Rという。ゴミになるものを使わない、リフューズ(断る)・リデュース(減らす)リユース(再利用)・リサイクル(再資源化)の4つのRである。■97、年容器包装リサイクル後で缶やペットボトルを分別して出す経験が、住民のゴミに対する意識を高めた。可燃ゴミの多くを占める生ゴミは、町が各世帯に1万円の自己負担で家庭用電動分解処理機を提供した。2001年にダイオキシン対策で町の焼却炉の閉鎖を迫られたのが大きな転機になった。■「ゴミを減らすことでしか解決しないでしょ。ゴミを資源にしてくれる引き取り先を開拓、全国各地の収集先を確保していくなかで必然的に三四種類になったのです」。まちづくり推進課・課長・星場眞人さんが熱く語る。「10年前発足したボランティアグループ(52人)『利再来』(リサイクル上勝・中山多与子代表)など住民の皆さんの自発的な参加・協力があればこそ、です」。■ボランティアグループの人たちは自分のゴミを運ぶ時、高齢者に声を掛けて、ついでに持って行ってくれるそうだ。■2003年5月、構造改革特区の認定をうけ10月有償ボランティア輸送特区事業を開始した。ボランティア運転手22名。会員には384名が登録している。■NPO法人の事務局長は神戸からIターン応募した松岡夏子さん。環境問題に関心があり、世界各地の環境問題を視察研修したというこの道のエクスパートである。「私達の理念に賛同してくれる企業・団体・個人の仲間を増やし、世界の情報を集め、大学等と連携して具体的な環境政策を国や機関に提案していきたい」と抱負を語る。■久し振りに町長室の笠松和市さんを訪ねた。もらった名刺は使い終わったカレンダーに印刷したものだという。「実は97年までゴミを野焼きしていました。日本全国で産業廃棄物の不法投棄が見うけられます。年間ざっと2兆6千億円のゴミ処理費がかかっています。私の町では経費をかけずにゴミの出ない商品づくりを勧めるために2004年にNPO法人『ゼロ・ウェイストアカデミー』を設立しました」。■上勝町にゴミ収集車はない。住民自ら町唯一のゴミ収集施設「日比ヶ谷ゴミステーション」に持ち込む。ゴミレンジャーこと環境監視委員がそれぞれの引き取り先やリサイクルの用途を壁に掲示し、分別の意義を説明している。■笠松町長が言う。「明日の輝かしい上勝を作るには次代を担う若者定住事業が必要不可欠と第3セクターの職場づくりを進めています」。現在I・Uターンを受け入れ、5つの第3セクターの新規雇用は124人という。「足までおいしいしいたけ」の鰹繽气oイオ・妻物の鰍「ろどり・木材産業の鰍烽ュさん・月ヶ谷温泉宿泊施設等の鰍ゥみかついっきゅうなどだ。土木設計の潟Eインズは小学校廃校の複合住宅一階にテナントとして入居している。■小さな町が大変身、その転機は「ピンチをチャンスに」したことだ。81年2月、マイナス13度という局地的な異常寒波で上勝町の特産品であるほとんどのみかんは枯死、香酸柑橘(ユコウやスダチ)は枯死寸前、農業は大打撃を受けた。これを契機に「町民一人一人が一つの知恵を」と、一休和尚の知恵に因み一Q運動を町のスローガンにした。一人一人が問題意識を、というワンクエスチョンのQでもある。■「上勝には木の葉をお金に変えるタヌキが棲んでいる」。料理を彩る紅葉や南天、松葉など妻物を出荷する、彩事業を立ち上げた横石知二さん(鰍「ろどり取締役)は、しばしば尊敬の念を込めてそう揶揄されている。■現在アジサイ・梅・桃・桜の花物など320種類を出荷する。無線ファックスとパソコン通信で受信、出荷情報を毎日農家に伝える。参加180人の農家で年商2億5千万円に上る。料亭やレストランでの研修を通して品質管理は厳しい。他の産地の追随を許さない妻物産地になった所以である。■横石さんが出張先の大阪の寿司屋さんで見た光景がこの事業発想のヒントというから面白い。女子大生が料理そっちのけで添えられた紅葉をグラスに浮かべたり持ち帰ろうとしているのを見てひらめいた。「これならウチの裏山にいくらでもある」。料亭に通って研究、品質管理や出荷体制をコンビニで学び、上勝ブランドを確立した。■彩を出荷する農家、針木ツネコさん(83歳)はこぼれる笑顔で言った。「軽いし、年寄りでも出来る。こんないい仕事はない。その日の売上げ順位がその日にパソコンでわかるでな。励みになる。朝起きるのが楽しみよ」。病気になる暇がないそうな。高齢化率46%の町で寝たきり老人は2人しかいない。葉っぱ集めにツネコさんは今日も太陽が昇ると山へ入る。「年収1000万円を稼ぐおばあちゃんがいるでな」。自分の小遣いで料亭に勉強を兼ねてよく出かけるそうだ。「昔は考えられんことよ。今は天国よ」■「上勝町にダイオキシン発生の疑い」などという新聞記事が出たりでもしたら妻物は全く売れなくなる。「ゴミゼロの町づくり宣言」はこの町の特産品のブランドを守ることに繋がる。ひいては、なにより消費者の健康を守ることに直結する。■上勝町の町づくりコンセプトは「採食健美」。2日間この町にいて、色んな人にあった。個性的で皆んな元気、「多土彩々」の町である。

再び、「馬車よ、ゆっくり走れ」。その訳。 引用
  2005/4/20 (水) 18:03:54 - 0104
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■病院に行ったら、玄関を入ったところに「理念」と掲示板に貼ってある。「歩み入る人にやすらぎを 帰りゆく人に幸せを」。ウ〜ン!?■患者に向けての理念ですか?患者満足のスタッフのスローガンですかね?■「歩み入る者にやすらぎを 去り行く人に幸せを」。それって、東山魁夷さんが著書「馬車よ、ゆっくり走れ」で、ドイツを旅した時に城壁に書いてあった文句として翻訳・紹介してらっしゃったアレのアレンジじゃありません?■東山さんのこの名著を何軒かの本屋さんに寄って探したが見つからない。結局、府立図書館で借りることにした。■1971年7月5日発行、以来、借りた人は私で17人目。驚いたのはこの前借りた人はナント63年。ということは1988年だから、17年間もゆっくり眠っていたのか。■63年にどんな人が借りたのだろう。気になる。2005年4月1日、個人情報保護法が施行された。今はとても叶わぬ話である。■「追憶の古都」の項で東山さんがこんな風に書いておられた。その中に出てくる(★マーク)。■霧が晴れた。木々の生い繁る緑の丘の上に、城壁に囲まれた古い町の姿が現われる。城門の櫓や、教会の尖塔をいくつも聳え立たせ、傾斜の急な赤い瓦の破風屋根を並べた中世そのものの町が見える。ローテンブルク、私にとって故郷ともいうべき響きを持つこの名。さあ、旅職人の杖と服を渡しておくれ、その美しい夏の日に、フランケンの地へ旅立とう   −ドイツ古謡−もう、ずっと以前のことだが、「遍歴の山河」と題して、私の自叙伝を出版したことがある。その扉に書いたこの言葉は、若い時、ここで買った町の案内書に、記されているものであった。 私はこの町の、どの広場も、泉も、路地も憶えているような気がする、古びた壁も、窓も、そして、塔も。いま、私達は町を取り巻く城壁の一つの門、シュピタール門の前へ立った。★  “Pax intrantibus,Saulus exeuntibus”「歩み入る者にやすらぎを、去り行く人にしあわせを」★ 古い石壁の堡塁に譲られたこの城門に、刻まれた言葉の意味を味わいながら、一歩、一歩、町の中へ足を踏み入れる。石畳の道が両側に古風な家々を並べ、正面に見えているジーベルス塔へと導いて行く。 「歩み入る者にやすらぎを」 それは、私達を現実の世界から切り離す呪文のようなものである。 ジーベルス塔のアーチを潜り抜けると、プレーンライン、つまり小さな場所と呼ばれる処へ来る。■今、特に全国各地の第三セクターの宿とかの玄関に「歩み入る人にやすらぎを、去り行く人にしあわせを」の張り紙をよく見かけるようになった。■概ね、やすらぎを、しみじみ幸せを、感じたことは、稀だ。忘れかけた頃にゆっくり冷めた料理が出てきたりする。いかにも借り物の理念なのだ。サービスは慇懃だけど、無礼。そんな感じのところが多い。■翻って病院の個人情報保護ですが・・。耳鼻科の中待合室。個人情報の保護には程遠いものです。筒抜け、まる聞こえ。ちっともやすらがないのですがね。■「中待合」って病院側の利便性と合理性の産物、それ以外の何ものでもないと思うのですがね。聴くほうも、聴かれるほうもやすらがないと思うのですが・・。■帰る時は決まって気持ちが沈む。帰りゆく人に幸せを。ホンの少しでいいから。

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